ミハイル・カリナンがドリュアスの地に降り立ったのは、夕暮れ時だった。
カルナが精霊を使いにやり、シーヴァーがディアナのために用意した部屋の前に広がる小さな庭へ呼び出したのだ。
他国の皇帝の住居区、それも指定された場所へ、なんなく優雅に空からやってきたことにも驚くが、一同がさらに驚いたのはその美貌である。
「……すげ。こんな男、現実にいるんだな」
エリックが失礼にも声に出してしまうが、ミハイルはそれに付き合うようなことはせず、
「まさか、こんな夜中に呼び出すとはな」
ミハイルの言葉にはトゲがある。マガーは深夜だ。
「たたき起こしていいわ」と精霊に言った張本人は、いたずら好きの精霊達がどんな起こし方をしたのか深く考えないことにし、
「昨日はどうもありがとう、兄上。おかげで私は夫を見つけたわ」
とだけ笑顔で伝える。
「そのようだな」
ミハイルは、ちらりとシーヴァー・ドリュアスを見た。
「はじめてお目にかかる、カリナン大公。いえ、義兄上。妹御を私にくださったこと、改めて礼を申し上げたい」
「それはそれはご丁寧に。シーヴァー・ドリュアス皇子。お気にめさなければ、いつでもお戻しください」
一瞬、火花が散ったように感じたのは、カルナの気のせいだっただろう。
「それで、なんの用だ」
「あ、そうでした」
うながされディアナがおそるおそる、カルナの後ろから顔をだす。
「私達がガイアに会いにいっている間、ディアナ皇女のそばにいてあげてくれないかしら。今日までずっとメロとふたりぼっちだった子よ。ひとりにはさせられないわ」
「そうか、ドリュアスのガイアの加護を受けに神界に行くか。あそこに子供を連れて行かないのは正解だ」
「さすが兄上、話がはやいわ」
ミハイルは、ひざまずいてディアナと目線を合わせた。
「こんにちは。ディアナ皇女。私はカルナの兄のミハイルです」
その言葉にディアナはぱっと顔を輝かせて、
「こんにちは。ディアナです。わたし、あなたの声が聞こえるわ」
「ああ。聞こえるね。私はカルナの兄だからね。私も妹においていかれる。ふたりでお留守番していましょう」
ディアナはカルナの顔をうかがい、カルナが頷くと自分も頷いて、ミハイルの手をとった。
ミハイルに抱き上げてもらったディアナは大喜びだ。
「メロもいなくなってしまうの」
「メロにおいていかれる子もいますよ」
ミハイルは、腰に差していた白い短杖を抜いた。
魔法使いが使う短杖にも似たそれは、実は真珠でできている。
むろん神の御業(みわざ)であり、自然のものではない。
カリナン大公が受け継ぐ神器、真珠の『斬(ざん)の剣』である。
刃もないのになぜ剣と呼ばれているのかは、神器を受け継ぐ者だけが知ることだった。
「ココ、出ておいで」
『はーい』
返事がして、斬の剣から、カリナン大公家の守護精霊が出てきた。
黒髪・黒目の男の子の守護精霊である。
『ココーー!!』
『メローー!!』
兄妹が久しぶりに出会い、大喜びで空中でくるくる踊る。
『ディアナ。ココはメロのお兄さんよ。ココ、メロがいない間、ディアナと遊んであげて』
『まかしとけ。ディアナ、ココアは好きか?』
「知らない」
『そうか、飲んだことないんだな。おいしいよ。夜、ねむる時にミルクに入れて飲むといいぞ』
『マスター、ココアのしたく!ココアを出して!』
「お前が飲みたいだけだろう」
ココア好きめ―――といいながらも常に準備はしているらしく、懐から小さな缶を取り出した。
上段にココア、下段に砂糖と分けられて入っている缶だ。
ブレンドした状態で入れないのは、時と場合と溶かすものによってココが作り方をかえろ、配合を変えろとうるさいからである。
『わーい』
缶を受け取ったココは、大喜びだ。
そんな中ディアナが、ミハイルの名を思い出そうとしていることに気づき、
「ミーシャ」
「ミー…シャ」
「そう」
「ミーシャ!」
「はい」
ディアナは笑った。
「あのねミーシャ、ディアナ、ココア飲みたい」
「いいですとも。お部屋に行きましょうか」
ふたりで部屋の中へ入っていった。
その様子に、
「なぁ、カルナ。俺は一日で可愛い妹を、あの男に取られてしまったのだろうか」
二人だけの世界って気がするぞとシーヴァーが言えば、
「好きな人が増えただけよ。覚悟することね。これからどんどん増えていくから」
でも珍しいとカルナは思った。
兄上が愛称を教えるとは。
成人してからは、ミーシャと呼ぶことを誰にも許していなかったのに。
「ま、とにかくこれでディアナは安心ね。兄上にまかせておけば間違いないわ」
カルナは胸をなで下ろしたのだった。