「あんの……バカ兄っ……!」
カルナは罵った。
「死ぬかと思った……」
風の精霊達が猛スピードで飛ぶものだから、荒れ狂う暴風に息ができず、とんでもない苦しさだ。あと数秒おくれたら窒息死したに違いない。それでも着地寸前に急停止してくれたおかげで、地面に叩きつけられずに済み、ケガもしなかったのはさすがである。
感謝する気なんてないけど!!
カルナは、クラクラする頭と身体を普段通りの状態に戻そうと、うつむいて何度が深呼吸を繰り返し息を整えて顔をあげたところで、この地では太陽がさんさんと輝いていることに気づき、ここがマガーではないことを理解する。
(どこ……?)
見回し、すぐ近くに複数名の人物がいることに気づく。
「あら、ふたりとも美形」と認識した、見知らぬ二人の青年。
剣帯した、いかにも騎士風の青年と……そして、もうひとりは。
黄金の髪と花緑青(エメラルドグリーン)の瞳は、まさにドリュアス皇家の継承の子の証。
(ということは、これがシーヴァー・ドリュアス)
だが、それ以上に、この皇子から感じるものは……
その時カルナの脳内で、精霊達が嬉しそうに舞い、祝福のラッパを吹いた。
(完璧……!)
まさに「これ」を感じなかったから、今までどのような殿方に会っても結婚したいとは思わなかったのだ。
「結婚するわ!」
「は?」
「ですから、あなたの求婚をお受けすると申し上げたのです、シーヴァー・ドリュアス皇子」
言われたシーヴァーは、
(求婚?!求婚ってなんだ、した覚えもないが……)
わけがわからなかった。
カルナは、かまわず続ける。
「ですが、お受けするにはひとつだけ条件がございます。ドリュアス皇家が一夫多妻であることは存じてあげておりますが、私と婚姻している間は、私に誠実でいらして頂きます。長続きせずにお別れするのは仕方がないけれど、浮気は許しません。それさえ守って頂けるなら大事にするとお約束いたしますわ」
クリスでさえ、不可解な言動にすっかり面食らっている。シーヴァーはといえば……
女性のほうから「大事にする」と求婚されたはじめての経験に、だんだんと心が楽しくなり、話を合わせてみることにした。
「それは、それは。いったい私のどこを気に入ってくださったのだろうか」
「男の方だからですわ」
カルナは、にこにこ笑顔で即答する。
「は?」
「ですから、皇子は男の方なのです。私はどのような男性に出会っても男の方と思えたことがなく、そのせいで結婚しようとも思いませんでした。ようやく子作りしても良いと思えるお方に出会えて、本当にうれしいわ」
「こ、子作り…」
そこにあるのは、恋の季節に発情するメスの悦び。
シーヴァーはぶぶぶと吹き出しつつ、
「そ、それは光栄だ……」
猫の姿が脳裏に浮かんできて、笑いを堪えすぎて苦しくなる。
その様子にカルナは、なぜ笑う?と首をかしげる。
その様子が、ますます猫に見えてきて、カルナの全身を目が追ってしまう。
(まずい)
シーヴァーは、まぶしく輝く太陽の光を意識することで気をそらすことに成功し、理性を司る太陽神に心から感謝した。
悪ノリし過ぎたと反省しつつ、
(だが俺には求婚した覚えがない…絶対に勘違いしているよな、これ)
いや、確かに今から結婚しようとしているし、花嫁は、さきほど逃がした。今日の結婚相手は彼女でいいという気持ちが沸いてこないでもない。だが、奪略はシーヴァーの好むところではない。たとえ心惹かれる女性であったとしても。
「大変光栄だが、私をどなたかと間違えているようだ」
「あら?シーヴァー・ドリュアス皇子でございましょう?」
「そのとおりだが、私には誰かに結婚を申し込んだ覚えがない」
「へんね?」
兄上がウソをつくはずないしと、もう一度ミハイルとの会話を思い出したところで、、、、
(お前にまかせるとしか言われてないわ!!)
ことに気づいた。あんな話のあとでだから、カルナが勝手に勘違いしていたのだった。
心の中で、
(恥…穴があったら入りたい)
と思えど、そこはそこ、社交界に君臨するボスザルである。
「おっしゃるとおりですわね。私の勘違いです」
少し恥ずかしそうな表情で、微笑んだあと、
「大変失礼いたしました」
と落ち着き払って優雅に礼をする。
その態度にへぇとシーヴァーは関心し、彼女と縁がなかったのは残念だと思いつつ、
「そうか。誤解がとけたようでなによりだ。正しいご結婚相手との幸せを願っている」
「あ、いえ。どなたとも結婚する予定はございませんわ。探してはおりますけれど」
シーヴァーは、えっとなり、
「そうなのか!?」
「ええ」
カルナの返事に、これはチャンスかもしれないとシーヴァーは思った。
「君は、私がドリュアス帝国の第一皇子シーヴァー・ドリュアスとわかっていて、結婚して良いと思っているんだな」
「ええまぁ。先ほどの条件さえ呑(の)んでくださればね」
「……その先ほどの条件、二股は許さないが、離婚には応じると認識したが?」
「その認識で結構です。先のことは誰にもわかりませんもの」
「そ、そうか。だが君のご家族はなんと言うかな?結婚の許可が必要だろう」
「いいえ?お前にまかせる、好きにしろと私をここへ飛ばしたのが、その家族ですから問題ないわ」
これは―――とシーヴァーは最後の、そして難関とも言うべき、
「今日これから、いますぐ結婚することになるがいいかな?」
「今日?これから!?」
驚いたカルナに、
「ああ」
シーヴァーはさすがに無理かと思った。女性が結婚式の時まであれこれ準備したがるのは当然のことだ。しかしカルナの返答は、
「出来はしますが……なんだってまた?それによって誰かが傷つくのならお断りですわ」
というものだった。
「逆だ」
シーヴァーは、エルダの儀の妃が手違いで臣下の恋人になってしまったことを話した。
「というわけで、ついさっき送り届けたので相手がいないんだ」
「あらまぁ……」
ここでカルナは、またひとつシーヴァー・ドリュアスという人間を知ることになる。
窮地に追い込まれても仕方が無かったと言い訳せずに、正しい行いができる者がどれくらいいるだろう?
「わかりましたわ。そういうことでしたら、お受け致します」
カルナが自らに言い聞かせるように頷きながら言えば、
「本当にいいのか。今日、いますぐだぞ」
「お気遣いは有り難いのですが、私にこれ以上の準備が必要だとは思えません。いまさら結婚式のために力を入れて準備しなければならないものなどありませんし。お風呂に入れて、花嫁衣装に着替えることができるなら十分です」
気に入っているけれど、さすがに部屋着では嫌―――と、いま着ている服を見回す。
「ああ。それは、もちろんだよ。では君と」
助かったと、いいかけて、クリスにがしっと肩をつかまれ、
「…皇子。お気持ちはわかりますが、ご結婚の前にせめてどこの誰か、どのような方かぐらいは気にしましょうね」
常識知ってます?フフフと、問うクリスの背後、心なしか、強者(つわもの)登場の効果音が聞こえてくるようだった。
「えー、あー、名を聞こうか」
まずは、ここからだと気を取り直してたずねれば、
「え?あら?」
マガーでは生まれたときから「顔パス」で自分から名乗ったことなどないため、言われて気づくカルナだった。
「名乗らぬご無礼、大変失礼いたしました。マガー連合公国、光のカリナン大公家の長女カルナ・カリナンでございます。こうしてカリナンがドリュアス大陸の継承の子にお目にかかりますのは200年ぶりでございますか。お元気そうでなによりでございます」
その挨拶に、シーヴァーとクリスは驚きすぎて絶句する。
まさか彼女がマガーの、あのカルナ・カリナン姫とは……
マガーの精霊使い―――そうだ、どうして気づかなかったのか。彼女の外見的特徴は、ジスティナ妃とそっくりじゃないか。
ではジスティナ妃は……
彼女の功績は疑いようがないが、未だに聖女か魔女かで評価がわかれている。聖女として神殿に祀られていることに異議を唱えている者達の理由が、彼女が黒髪黒目であったことだ。
この世界、金髪・花緑青(エメラルドグリーン)の瞳を持つ子が、皇家の継承の子と呼ばれ帝位を継ぐように、性質と外見の色彩はリンクすると思われているのだ。
「いや…光とはもっとこう……光輝くような姿をしているものではないのか。少なくとも私が知っている光属性の魔法士は、皆そのような姿をしている」
シーヴァーが問えば、
「光は光でも我らは月の光ですわ。カリナンに守りと癒やしの力があるのは確かですが、光の魔法士の力とは異なります」
カルナはあっさりと答えた。
「月か!」
とシーヴァーが納得したように叫ぶと、今度はクリスが、
「ですが、月の象徴は銀色と言われております。帝国の太陽を守るシルバーナイトの名称もそこからきています」
と、疑問を口にした。
カルナはにこりと笑い、
「おっしゃるとおりカリナンの血をひく者の中には、そのような姿をしている者がおります。そして継承の子が黒髪黒目なのです」
「!!!」
では、ジスティナ妃は―――
「…ジスティナ妃はカリナン大公家の継承の子だったのか?」
「ええ。彼女の生まれた時の名はジスティナ・カリナン。大公家の姫のままでは嫁げなかったので身分を落として嫁ぎました」
「そうだったのか。道理で…」
魔女説派は、ジスティナ妃と同じ黒髪黒目の者が他にいないことを、彼女が魔女だった証拠としている。
一方、聖女説派は、
「たった数百人、しかもドリュアス人のデータじゃないか。マガー人を調べたのか」
と反論し、さらに魔女説派が、
「ばーか、マガー人の中にもいないわ!」
などという幼児のような言い争いをしていた。
(は…)
シーヴァーは笑うしかない。マガーの守護神と呼ばれるカリナンの大公とその継承者をマガーは隠し続けてきた。ジスティナ妃がカリナンの継承の子だったのならドリュアス人が「見たことがない」のは当然だ。なんともばかばかしい、言い争いをしていたものだ。
しかし……
「そんな秘密を簡単に教えていいのか。マガーがずっと隠し続けてきたことだろう?」
カルナ・カリナンの噂が帝都に届くときも、彼女が黒髪黒目である情報は奇麗に消えていた。そこは想像のまま、好きに話されていたのだ。
カルナはまっすぐにシーヴァーをとらえ、
「その結果が、200年前の天の大地の崩壊でした。既に上手くいかなかった結果が出ているのに、同じことを繰り返すのは愚かですわ。我らが帝都上空から離れることができた今、昔ほど帝国を恐れる必要もないでしょう」
「そうか…」
まさかマガーがドリュアスを恐れていたとは…
しかし、光と知ったからには、どうしても確認しておきたいことがある。もともと魔法士には変わり者が多いが、その中でも光の魔法士は極めつけだからだ。
(まさか光とは思わなかったから、了承したが)
いきなり「君は考え方がおかしい人か?」と聞けるはずもない。いくつか質問して探りたいと思っても、突然すぎて不自然だろう。
そんなシーヴァーに助け船を出したのはカルナ自身だった。
「面接したいのでしたら、どうぞ。当たり前のことだと思うわ」
「えっ、ああ、そうか。ありがとう」
これで少なくとも人心がわからない女性ではないとわかったシーヴァーだった。
「では。遠慮なく。私が見るところ光の魔法士は、その、個性的な者が多い気がするんだが、貴方の考えはどうだろう?」
「ああ」
カルナは察しがついた。
「わかる気がします。魔法士は精霊に好かれ、精霊に祝福されることで魔法が使えるようになるもの、精霊は世界を愛し、世界から愛されていることを信じて疑わない存在です。人間のように愛されるために嘘をつく必要もなければ、命を守るために戦う必要もない。そんな精霊に好かれる人は、人の中では変わり者になるでしょうね。特に…」
カルナは過去から記憶を引っ張り出すかのように、いったん言葉をきり、
「光の精霊は幸せの精霊です。貴族が美徳とする義務や忍耐は、幸せじゃないのに、なんでやるんだろう、このヒト、幸せが嫌いなんだと考えて腹を立てたりしますから。だから光の精霊に好かれる貴族は、貴族としては非常識な者ばかりになってしまう。同時に光の精霊は争いが嫌いですから結果、自己犠牲を幸せと感じるマゾヒストか、自分だけの世界で幸せに暮らしているような者ばかり祝福するという…」
「そうなんだよ!」
シーヴァーは力一杯同意した。
「なんで光の魔法士はあんなに面倒な性格の者ばかりなんだ?!癒やしの力があるから蔑ろにもできない。数が少なくて良かったと思うが、関わる者達全員が振り回されている」
「ご苦労、お察しします」
カルナは苦笑いする。実際に光の魔法士に会ったことがない身では、他に言いようがない。
そこで、会話がとぎれ、
「……で、どうなさいますか」
「もちろん、結婚するさ。いいな?クリス」
「貴方がお決めなさることです」
無表情で応じたクリスに、
「貴方も何か聞きたいことがありそうね。気になることがあるなら、どうぞ」
カルナはクリスと呼ばれた青年騎士の色彩に見覚えがあった。
白金髪に空色の瞳。
なぜこんなところに?と思えど、むろん他家の内情に口を出すほど礼儀知らずではないから黙っていることにする。
「では遠慮なく。姫は皇子を気に入ってくださったこと以外、何もないのでしょうが、カリナン大公のほうは何かを企んでいるとしか思えません」
「でしょうね。きっと何かを企んでいるはずですが、私には見当もつきません。ただ、私の知る限り、兄大公は、なにごとも結果を出すことに、こだわる方です。それなのに具体的なことは言わず、お前に任せるとだけ言った。貴方が心配しているような皇子を骨抜きにしろとか暗殺しろとか、ドリュアス皇家を滅ぼせとかそういう類のものではないのは確かですわ。それなら最初から任務を与えているはずですし、私より適任者はいくらでもいます」
と、ぶっそうなことを言ったあと、
「私を送ったということは、守らせるつもりなのでしょう。それも私でなければならないような難しいことを。それが何かは知りませんが…ドリュアスで最近何か変わったことはおありですか?例えば、得体の知れない者があらわれたとか」
シーヴァー、そしてクリスは、同時に先ほど話題にしていた女性の姿を思い浮かべることになった。
だが、綸言(りんげん)汗の如し、他国の王女を相手に確証のないことを言えるはずもない。
「いや……」
「そうですか…では、それは私のほうで確認してみますわ」
「そうしてくれ」
今、水面下で帝国を脅かす何かが蠢いているのだとしたら、光のカリナンほど頼もしい味方もない。が、
(具体的にどのような力なのかは謎に包まれているんだよな……)
それでもたいして警戒する気持ちが湧かないのは、ジスティナ妃という前例があるからだ。
その時、上から女神官の困惑する声が聞こえた。
部屋へ呼びに来たのだ。
「ここだ!私はここにいる!」
女神官が窓から顔を出した。
「皇子……なぜ、そのようなところに」
「すまないね。良い天気だったもので。すぐ戻る。今からかい?」
「は、はい。清めの間(ま)で身を清めたあと、ご衣装を合わせて頂きとう存じます」
「わかった」
「そういうことだ。今は時間もないし、あとでゆっくり話そう。私は君に決めた。いいかな?」
「ええ」
「クリス、どうだ?」
「問題ないです」
「そうか、では部屋に戻ろう」
シーヴァーはクリスの肩に手をかけたのだった。