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エルダの儀

4

儀式の直前での花嫁交代という出来事にも、神官達の中でそれを気にする者はいなかったようだ。
即位に必要な大切な儀式、しかも結婚式という大イベントであるにも関わらず、神官以外に参列者はいない寂しい儀式であり、誰も関心を持っていないのが、わかる。
(廃止する理由もなく惰性でやっているという感じね)
などと思いつつ、つつがなく儀式は進行してゆく。
現代では誰も着なくなった伝統的な民族衣装に身を包み、巨大なガイア像の前、手を取り合い二人ですすみ、神官から祝福を受けるだけの簡単なもの。

誓いの間での儀式を終えると、カルナは一旦、夫となったシーヴァー・ドリュアスと離ればなれになり、重く豪奢な衣装を脱ぎ、髪を解かれ、薄絹一枚という身軽な姿になった。
神殿の奥深く、重々しい扉に閉ざされた部屋の前までくると、重い音を立てて扉が開き、中へ入るように促される。
どうやらここから先は、カルナとそしてあとから来るであろうシーヴァー・ドリュアスしか入れないようだった。
エルダ大神殿の奥深く「恵みの間」と呼ばれるその部屋は、豪奢とはほど遠かった。
石造りのこじんまりとした部屋で、天井を覆うものはなく、天から静かに月の光が降り注いでいるばかりだ。
(今夜は満月…)
床や壁には、びっしりと幾何学模様や、象形文字が彫刻されており、月光を反射してキラキラと輝いている。
部屋の中央にしつらえてある天蓋つきの寝台は、ひときわ明るく輝いていた。
開放的すぎて恥ずかしいとは不思議と感じず、安らぎにも似た懐かしさを覚え、カルナはすぐにこの場所が好きになった。
彼女は寝台に腰をおろして、天を見上げて目を閉じた。
そうしていると天とひとつになり、精霊のささやき、優しい歌声が聞こえるようだった。
カルナは優しい音楽に身体を任せるように寝台を降りて、今度はそっとアザのある右頬を床のひやりとした大理石にあて、天地とひとつになり、星空と大地の奏でる優しい音楽を聞く。
(なんて素敵……)
いつまでもこの歌声を聴いていたい。
どれくらいの間、そうしていただろうか。
そのうちに大事なことを思い出す。それは、
「……お腹が空いた。なにが一食よ…二食じゃないの…兄上のあほう」
だった。
瞬間、口から息を吹きだすような音が聞こえ、カルナは我にかえって眼をあける。
開いた目からは、なめらかな絹の衣装に包まれた、誰かの足下が見えた。
肝心な目的を思い出し、上半身をおこして姿を確認すれば、案の定、シーヴァー・ドリュアスが、カルナから顔を背けて震えながらたたずんでいた。震えているのは笑うまいとしているからだ。
「いつからですか?!お声をかけてくだされば、よろしかったのに」
両手で衣装を整えながら、焦って立ち上がる。
「申し訳ありません」
カルナは目をあわせないように横を向いていい、恥じ入って顔を赤くした。やってしまったと思いながら。
「謝る必要はない。我を忘れて見入っていたのは私だ。まぁなんというか……気がつかなくてすまなかった」
いますぐ願いを叶えてやりたくても、儀式の最中はそうもいかない。
「忘れてください!」
自分だけの世界に浸ってしまっていた姿を見られるなんて恥ずかしすぎる。
見られてなかったことにしてしまいたい。
シーヴァーはくすっと笑い、ついで大きく息を吐き出し、なにかの幻影を追い払うかのように、かぶりをふる。
しばらく忙しく眼球を動かしカルナの全身を確認するかのように眺めてきたかと思ったら、やがて手をのばし、じかに触れてきた。
髪から頬に流れるようにそっと指先で撫でていく。今度は指先から伝わる髪や肌の感触を確認しているようだった。
やがてアザのあるカルナの右頬を手のひらでつつむように触れた時、素晴らしくなめらかで柔らかい肌の感触がつたわってきたのだった。
「美しいな……君は」
シーヴァーは心からそう思った。
心はまだ一部を知っただけ。だが外見は自分好みだ。
「え?ああ、そう思ってくださるのでしたら嬉しいですわ。私への容姿の評価は、普通という方と、気持ち悪いという方と真っ二つに別れてしまうらしくて心配していたのですが。しばらくは一緒にいなければならないわけですから、顔を見るのも嫌となってしまったら困るところでした」
「しばらく?」
シーヴァーは眉をひそめた。
「ええ。その可能性が高いから、わざわざ離婚に応じるか確認されたのでしょう?」
「いや、まぁ」
あの時は、どちらかと言えばシーヴァーのやる気の問題であった。
彼女をたったひとりの妃にすること、出来ないとは思わないが、いろいろと苦労すること目に見えている。
そこまで彼女に執着できないのであれば、そして国益にもならないのであれば、さっさと別れることを選択してしまうだろうと思ったのだ。
だが、カルナがカリナン大公家の姫だとわかり、
(頑張ってもいい…)
という程度には考えを変えている。
勝手といえば勝手だが、そもそもシーヴァーは好きな女性と結婚するのが目的なら皇家に戻ってなどいない男なのだ。
そして、先ほどのカルナの姿に―――
床にうつ伏せになっているときの彼女は、床に流れて広がる黒髪と真珠色の肌が月の光でキラキラと輝いて、アザのある右頬が床下に隠れた姿は、繊細ではかなげな容姿だけを彼に伝えてきた。
腕の中に抱きしめたらどんな感触が伝わってくるだろう―――本当はそっと背後から忍び寄り優しく抱きしめたくて、たまらなかった。
シーヴァーは寝台の上に座り、カルナに横へ来るように催促した。
カルナは大人しく従うことにする。自分できめたことだ。拒否する理由もない。
そもそもここで、時間が欲しいと言ったところでシーヴァーが聞き入れることはないだろうと確信している。こうした儀式を完璧に執り行うのは大切なことであり、たとえば後日、儀式をしていないからと即位無効を主張されるなどあってはならないことなのだ。
そうして、寝台に腰を下ろしてふたりで並んでみれば。
自分が急きょ結婚することになった男の容貌をカルナは改めて確認することになったのだった。
カルナは女性としては背が高いが、シーヴァー・ドリュアスはそれより長身である。同じ美貌でもカルナの兄、ミハイルとは真逆、シーヴァーのそれは太陽に愛されたものの美だ。短い黄金の髪、エメラルドグリーンの瞳は、美しく輝く海を思い出させ、日に焼けた肌に、引き締まって過度に筋肉を付けすぎてはいない身体は、彫刻家が好みそうである。
いかなる者も太陽を直視することはできず、光がまぶしすぎて姿を見ることもできない。
だがもしその姿を想像するならば。
なるほど、こんな姿をしているのかもしれないとカルナはなんとなく思った。
「あの、殿下は」
カルナが言いかけたところで、シーヴァーが遮った。
「シーヴァーでいい。それと先ほどの君の話し方のほうが【俺は】好きだ。帝都育ちなのでね」
本当は、お腹がすいたのつぶやきがとても可愛かったからなのだが、それについてはシーヴァーは黙っていることにした。
「そうですか……?では遠慮なく。私のこともカルナとお呼びください」
シーヴァーは頷き
「で、なんの話かな?」
「え?ああ。私がカルナ・カリナンと知っていて、よく普通に結婚を決めたな、と。あの護衛の騎士の方もそこは気にしていなかったようですし」
「ああ、あれか!それは簡単なことだね」
シーヴァーはくすくすと笑い
「あの手の話は、最初に誰が言い出したのかが肝心だ。それを考えないで話している時点で、ただ会話を楽しんでいるだけだとわかるよ。無駄話に付き合うヒマ人は少なくとも俺の周囲にはいないな。それに………」

「帝都の貴族と民はこの200年、ジスティナ妃を処刑してしまったことを後悔し続けてきた。再発防止のためにできる限りの教育や対策をしてきたつもりだ。だから今回、噂話に荷担する帝都貴族や帝都民はほとんどいなかったと思うよ」
「そうだったのですね……」
過去を取り戻すことはできないが、前へ進むことならできる。
ドリュアスはこの200年、彼らなりに前へ進んできたのだ。
ひょっとして兄上が意図的に私の情報を流したのは、彼らを試したのかも―――と、カルナは思った。
「それで、本当のところどうなんだ?」
聞かれてカルナは顔をあげる。
「本人を前にしたら、確認したくなるのは当然だろう?」
「どうって……猛獣?」
「なんだって?」
わけがわからなそうなシーヴァーに、カルナは天井を仰ぎ見て、いずれバレることだと覚悟をきめた。マガーだろうがドリュアスだろうが、同じことをやって同じ事を言われるのだろうから。
カルナは事情を説明した。ベッドで暴れて、不能にされると思われていることまで詳しく。
聞いたシーヴァーは爆笑することになる。
「笑いすぎよ、貴方!」
扉の外で待ち構えている神官達に聞こえるでしょ、声を抑えなさいとばかり、カルナは両手でシーヴァーの口を塞ぎにかかる。もし、この場を誰かが見ていれば、いちゃついているとしか思えない光景である。
力強い腕につかまれて、カルナの手はいとも簡単にほどかれてしまった。捕らえられたらカルナが絶対に抵抗できないほどの強い力だ。
カルナは、大いに困惑したものの、不思議と怖くはなかった。
だが、こうしてシーヴァーに手首を掴まれて、実際に彼の熱さや肌に触れてみると、どんな男性に対しても、社交の場でどれほど多くの男性に出会おうとも、決して持ち得なかった感情が湧き出してきて……そして彼女は、その感情に名前を付けることができなかった。
動揺している彼女をよそに、シーヴァーは、笑いが止まらない。
そんなシーヴァーの様子に、カルナはだんだんと腹が立ってきた。馬鹿にされているような気がしたのだ。
カルナはいきなり頭を突き出し、驚いたシーヴァーの力が弱まった瞬間、渾身の力を込めてシーヴァーを振りほどくことに成功する。そして、座ったままの姿勢で身体をひねり、シーヴァーに背を向けるかたちでポスっと寝台に倒れた。
もう口をきかないと決めたらしい。
シーヴァーは、自分に背を向けてしまったカルナを、背後からのぞき込む。
やがてシーヴァーは好奇心にかられて、寝台の上、うねるように広がっているカルナの長く美しい黒髪を手のひらですくい、サラサラと落とした。
それは、気持ちよいほど円滑に流れ落ちて、月の光を反射してキラキラと輝く。
ドリュアス人の軟らかな髪とは違って、カルナの髪は固く、それだけに奇麗に流れ落ちるのだった。
(ほう……)
大いに気に入って、遊ぶシーヴァーをよそに、カルナはぴくりともしなかった。
(どうしたものか……)
シーヴァーは、考えあぐねた。
で彼女の黒髪をそっとかき分けてみると、細いうなじがあらわれた。真珠色の肌に、薄い衣装から肌が透けてみえていて、大いに想像力をかきたてる。
やがて、どうしようもなく熱い感情(もの)が沸き上がってきた。
身体の熱さに我慢できなくなり、背後から首すじに優しくキスした。何度も唇でつつく。カルナの反応を確認するかのように。
やがて、それは段々と激しくなり、かみつくようなキスになる。
しばらく様子見の愛撫を繰り返し、彼女が受け入れて抵抗しないことがわかるや否や、身体を反転して組み敷いた。見れば、カルナは戸惑っており、頬にはほんのりと赤みが差している。
感じていたとわかって、シーヴァーは嬉しくなり視線を外さずに、薄衣の上からカルナの身体を手でなぞりだす。
ゆっくりと結び目をほどき、衣を脱がしにかかる。もともと、このための衣装だ。とても簡単にほどかれていく。
カルナははじめての体験に戸惑いながらも、そんなシーヴァーを受け入れた。
この人の手や唇の感触はとても気持ちいい……
だけど、それだけじゃない。
なんだろう……この感覚。
ふたりの素肌と素肌が重なった瞬間、カルナの意識が寝台の真下、部屋の石畳をも貫いて、底の底へと走り出し、やがて急激に横へひっぱられる感覚が襲ってきた。
とても暖かく、あたり一面に光が満ちた光のトンネルをぐぐりながら
(どこへ向かっているの……?)
風の精霊に運ばれる時の感覚にも似て、精神がどんどん身体から離れていっているのを感じた。
戻れない、とは思わなかった。身体はシーヴァーが強く抱きしめて、繋ぎ止めてくれていたから。
そうして、どれほど時間がたったのだろう。
出口が見えてきたと思ったその先でカルナが見たのは、まぶしいほどの光の野原だった。
黄金に光輝く広大な……
「光のカリナン」であるカルナには馴染みの場所だ。
(神界?なんで?!)
やがて、
「ほう。200年ぶりだな。月の子がここへ来るのは。どうやら最後の契約の子が間に合ったらしいね」
ヒトはしぶとい―――くっくっと笑う声がきこえる。
カルナは辺りをみまわすが、誰もいない。否、相手の身体が大きすぎて、姿をとらえられないのだ。
「ヒトは小さいな。待っていろ」
シュルシュルと小さくなり、カルナより少し背の高い美しい男性があらわれる。
白金の髪は床につくほど長かった。
「私は白の創造神ガイア。この世界を創った神だ」

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