エリック・ストラウスが、城下町で手に入れた袋いっぱいのお菓子を抱えて自室へ帰ってきた時―――
「どこへ行っていたんですか、エリック!」
振り向けば、子供の頃からの見知った顔があった。クリスである。
二歳年下の自分にまで丁寧語を使うクリスの感性は、いまだにエリックには理解できないままだ。
そしてエリックはというと、年上だろうが年下だろうが、友人と認めた者にはタメ口をきくのだった。
「みりゃわかるだろ、買い出しだよ。俺の頭は、いつも糖分を必要とするんだ」
ノブを回し、ドアを内側に開けた部屋の中は、足の踏み場もないほどの書類が散乱している。
中には貴重な資料ではないかと思われる黄ばんだ紙も含まれているが、無造作に床に散らばったままだ。
エリックは、それをさらに足で蹴っ飛ばし、歩く道を作りながら、
「それよりお前、シーヴァーの護衛しなくていいのかよ?あいつは休みでもお前は仕事だろ」
「その皇子が、ずっと君を探しているんです」
君も仕事中のはずなんですが―――クリスは顔を引きつらせる。
「は?なんで」
俺に用なんてないだろ―――
クリスは部屋の中に足を踏み入れ、ぐぐっとエリックの肩をつかみ、
「首に縄を付けてでも連れてこいと皇子のお達しでしてね、さぁ、いきましょうエリック」
「ちょ、おまっ!痛い!こらっ、俺のお菓子がぁ!!!」
クリスに引きずられていくエリックの叫び声が、むなしく廊下にこだました。
「皇子、ようやく捕まえました。菓子の買い出しでしたよ」
クリスが、エリックとともに、部屋の中に入ってくる。
ようやく離してもらえたエリックは、
「シーヴァー、てめぇ!!俺をなんだと思ってやがる!!」
シャーッと山猫のように抗議してきたエリックに、
「……帝都一の自由人だと思っているよ。天才歴史学者」
シーヴァーは自身の指先に息を吹きかけた。
「こういう時に役にたってもらうために、お前には皇帝付補佐官の地位を与えているはずなんだがなぁ。神話伝承時代を含め大陸4000年の歴史をすべて頭の中に詰め込んでいても、必要な時にどこへ行ったのかわからないのでは役に立たないな。俺もお前への接し方を見直さなくては」
ちなみに皇帝付というのは間違いではない。皇子付補佐官という役職は存在せず、既にシーヴァーの仕事内容は皇帝のそれなのだ。
「いったいなんだ!?」
シーヴァーが、無言で手の平を差しだした先をエリックが確認すると、そこにはカルナ・カリナンがいた。
彼女は彼女で、あっけにとられている。
この時点でエリックはカルナが何者であるのかを知らない。
だが、しばらくカルナを観察して、
「ジスティナ妃……!」
と驚きの声をあげた。
「そうか、やはりお前は気づくのだな」
目の色を変えていても―――シーヴァーは感心した。
「話していいか。これから先、彼の力は必要になる。こんな男だが信用はできる」
「信じるわ。どうぞ」
「まて、待て。なんだそれは……」
シーヴァーから話を聞いたエリックは、気が動転してしまう。
(やっぱり そうなるよな)
(やっぱり そうなるわよね)
エリックははーっと深呼吸するかのように息を吐き出し、
「それで、俺を呼んだ理由はなんですか?何が知りたいんです?」
さすが話がはやいと思いながら、カルナは本題に入った。
「昨夜のエルダの儀が本当はどこで行われていたかを知りたいのよ。『恵みの間』じゃないわよね?」
神界は広い。あてもなく彷徨えば、100年たっても目当ての神の住居には辿り付けない。
儀式が行われる場所が、逢いに行きたい神の住居から一番近いのだ。
「創造神に逢ったということは、昨夜のは新帝の承認式ではないわ。創造神がらみの儀式だったはず。なら新帝の承認式は?廃止になったのかしら?」
カルナの問いに、エリックはたいして悩まずに答える。
「ドリュアスでは、皇家の皇子が18歳になった時におこなわれる成人の儀、そして新帝即位の時の承認の儀、どちらもエルダ大神殿で執り行われるため、エルダの儀と呼ばれていました。妃を迎えていたのは成人の儀のほうです。それが500年前、金の無駄という理由で成人の儀が廃止され、一部が新帝の承認式に吸収され今のかたちになりました」
「あら」
エリックは彼のために出されたケーキをつっつきながら、
「……と、建前はそうなっていますが、成人の儀が廃止された真の理由は、妃の座を巡っての女性達の争いが激しくなりすぎたからです。なんせ一夫多妻のドリュアスで、皇子が結婚式なんてものをやるのは成人の儀で迎える妃とだけですから。皇妃以上に特別な妃でした。それで成人の儀での妃の座を巡って暗殺されるわ、大金が動くわで手に負えなくなっての廃止です。俺も廃止は正しかったと思います。あの儀式は悲劇を生み出しすぎていた」
「……そうですか。500年も前に、かたちが変わっていたのね」
創造神に真実の愛を捧げることを目的にしていた儀式だったのならさぞ美しい儀式だったはずだ。
神の前でお互いに永遠の愛を誓いあう、女性が憧れるような。
それを誰もが欲しがったとき、醜悪な争いが繰り広げられたことだろう。
「それで、本来の新帝の承認式は、どういうものだったの?」
「エルダ大神殿の『豊穣の間』に新帝ひとりで籠もり一晩中祈りを捧げる儀式です」
「マガーの精霊使いは立ち合っていませんでした?」
「……わかりません。記録がありませんから。わかっているのは承認式は非公開の儀式だったということです。今のエルダの儀が臣民の立ち会いなしの寂しい儀式になっているのも、それを引き継いでいるからです」
「そうですか。でしたら間違いなくそれだわ。ドリュアスのガイアへの道は、エルダ大神殿の豊穣の間にあるのよ」
そのカルナの台詞にエリックは反応し、
「どうやら新帝の承認式にはマガーしか知らない秘密がありそうですね。新帝は一晩中籠もって何をするんです?」
「秘密というか…私も今日、知ったばかりです。承認の儀は、ドリュアスのガイアに会いに行き皇帝となることを認めてもらう正真正銘の承認式。見事承認されれば、ドリュアスの大地が皇帝を傷つけることはなくなるでしょう。老衰以外では死なないわ」
エリックは目をパチパチさせる。さすがにすぐには理解できなかったのだ。
カルナは補足した。
「昔、神と人がともに暮らしていた時代がありました。それがある日、お互い干渉せずに別れて暮らすことを選び、神界へと続く扉はすべて閉ざされ消えた…でもすべての繋がりが切れたわけではありませんでした。光の扉を呼び出し、神界への道を開(ひら)くことができる者がいた。それが我らカリナンです」
エリックはようやく理解した。そして…はじめて知ったことだった。
まったくどれほど学んでも、次から次へと知らないことが出てくる。これだから面白いと思いつつ、
「つまりカリナンに扉を開いてもらえれば、誰でも神界へ行けるということですか?」
「いいえ。普通の人は光の扉が開かれ、神気を浴びた瞬間、死んでしまうわ。神気を浴びても死なない身体をもって生まれた者が継承の子なのよ」
「ああ、なるほど…だから継承の子は、皇帝や王になったのか。そうか、そうだったのか。なぜ今の皇家が皇帝になったのか、いまいちわからなかったんだよな…」
つぶやくようにいったあと、カルナのほうへ身を乗り出しワクワクがとまらないと、
「すると、ドリュアス神話で語られる神と人との間の子というのは、本当のことなんですか?!」
ドリュアス神話に登場する英雄達は、皇家をはじめ、ほとんどが神の子を名乗っているのだ。
「いえ、それは知らないわ」
エリックは頷くと同時に、勢いよく振り返って、
「シーヴァー!お前、神界に行って聞いてこい。俺が聞きたいことリストを書いてやる」
山ほど――知りたくてたまらない、両眼がお星様のように光っている。
シーヴァーのほうは慣れたもので冷静に、
「断る。聞けるか」
公の場で、皇帝に向かって「だれそれの親は誰ですか」なんて聞ける者がいないのと同じである。
「はぁぁ!!!お前、お得意のセールストークで話を引き出すぐらいやれよ!」
「商人とゴシップ好きの区別ぐらいつけろ」
アホエリック―――ゴゴゴとシーヴァーが迫り、二人が言い合うのを見ていたカルナは、
「仲がいいのね。羨ましいわ」
くすりと笑い、それを合図に二人は少し顔を赤らめて冷静になった。
「それにしても、詳しいですね」
ごほんと気を取り直したエリックが言う。
「マガーの大公承認式と同じですもの。我々が誓う相手は精霊王ですが」
「いいんですか?そんなに簡単にバラしても。マガーが隠していたことでしょう?」
ドリュアスにそんな記録はないと断言できるエリックだった。
カルナはうーんと、
「隠していたというより、ドリュアス人は信じなかったというのが正しいわ。200年前までは、そのなんというか…なんでも証拠を欲しがる方々でした。それも自分達が認めた立派な方々の言葉しか信じないような。さっきも言ったように神気を浴びれば死んでしまうから、生きて本当だったと話せる方がいるはずもない。私達のことを、嘘つきと思っていたようです」
「あー」
エリックは察した。ドリュアス人はそういうところがある。
理論と議論が大好きで、なんでも証明しろと意気込むわりには権威に弱く、偉い人の話を疑わずに信じてしまう。
魔法がなかった時代だ。こうした話は、信じもしなかっただろう。
「ジスティナ妃が魔法を研究したのは、そんなドリュアス人を変えたかったからでしょうか」
「どうかしら?」
身分を落とし、妻子ある男に嫁ぐことを決意させる、何かがあったのは確かだが……
「ところで」
カルナはシーヴァーに視線を流し、
「ドリュアスのガイアに逢い、加護をもらいたいと言う。はいそうですかとはいかないわ。その資格があるか問われることになるでしょう」
「ん?ああそうか。わかった。教えてくれてありがとう。覚悟しておくよ」
そのあっさりした返事にカルナは軽く驚き、シーヴァーは「?」となる。
「いえ、神と逢って…皇帝として承認されるために神の問いに答えなければならないと聞いて、もっと不安になったり悩むかと思ったから」
「おいおい、俺は19で、人生の転換を迫られた男だよ。今までの人生を捨てて皇家に戻る時に、さんざん悩んださ」
シーヴァーは膝の上で手を組んだ。
「だってそうじゃないか。商家に育ち、自由に旅して、持てあましている金をどう使おうが文句も言われなかった人生から、ただ玉座に座っているだけの人生を送れという。こんな人生は嫌だと考えなかったはずはないだろう。いったい皇家とは皇帝とはなんだ?と何ヶ月も考え続けて、戻る決断をした。いまさら何も悩むことはないよ」
「そう、そう。あの時のお前、本当に酷かった。行政長官の家に乗り込んでいって暴れたりしてな」
エリックが思い出すように混ぜっ返し、
「俺は、あなたの味方をして、何度も見逃したことで、除隊される覚悟をしましたね」
クリスはしれっと言った。
「すまんね、そのセツは世話になって」
嫌みだぞ、お前等―――
そんなたあいのないやりとりを眺めながら、
(忘れてた)
カルナはいまさらながら気づいた。
この人はこういう人生を送ってきた人だった。
裕福な平民という自由な人生から、貴族の…国の頂点に立つことを迫られた人だ。
それは生きながら一度死んで、生まれ変わるほど難しいことだっただろう。
平民が貴族になれるはずないとはカルナは思わない。同じ人間にできることには違いないのだから。
だが人が環境に慣れるためにはそれなりの時間が必要、突然いつもと違うことをやり出したことに心身は全力で抵抗してくるはずで、その辛さは生まれた時からその環境におかれている貴族には想像もつかない辛さだろう。
その辛い期間に耐えて乗り越えるためには、なんとしてもなるという本人の強い意志や覚悟が必要になる。
この人は、その意志と覚悟を持っていたから、
乗り越えてここにいるのか―――
そして今、最初から皇族であったかのように振る舞っている。
「なんだ?」
「いえ。なにも。守りがいのある人だと思っただけよ」
にこりと笑ったカルナに、シーヴァーは「?」と思う。
カルナは話題をかえた。
「でしたら、早いほうがいいわね。今夜はどう?」
「ああ、ちょうど今日と明日は新婚休暇でなにもやることがないからね。今夜にしてくれたら助かるよ」
そしたら明日、昼寝できる―――ラクだといったシーヴァーに、
「いくらなんでもお手軽すぎないか。神に会いに行くんだぞ……もっとこう心の準備とか、緊張感があるだろう!!」
エリックは呆れるが、
「そんなものかしら……?私はこの23年で、十分準備してきたと思うけれど」
「その通りだぞ。エリック。もう準備はすんでいるさ」
今は行動する時だ―――
そんなカルナとシーヴァーを交互に見比べ、
「……似てる」
ぼそっとつぶやき、ひそかにくすりと笑った。
「わかった。俺もエルダ大神殿にいく」
「なぜだ?」
「なぜってお前、どうやって神殿に入るんだよ。皇族といえども用がなけりゃ入れないだろ。俺が夜行性なのは皆知っていることだ。夕方あらわれて、朝まで資料室に籠もると言ったところで、いつものことだと誰も不信に思わないさ」
話が見えないと困惑しているカルナに、シーヴァーがこっそりと、
「エリックは、帝国内でも3人しかいない大司書の称号を持っているんだ。大司書にはあらゆる書物にアクセスできる権限がある。大司書様から蔵書や文献を見たいと言われたら誰も拒めないな」
「そうなの!まだ少年なのに凄いわ」
と言ったカルナに、シーヴァーは困ったようにぼそっと、
「……いや、21歳…」
「ええっ!!」
「参考までに俺のことをいくつだと思っていたのか、伺っておきましょうか。妃殿下」
ゴゴゴとエリックの威圧を感じたものの、
「じゅ、じゅうご、ろくさいぐらいの天才少年かと」
と、正直にいった。
シーヴァーが大笑いし、クリスは笑うまいと堪えた。
おまえら……!というエリックの視線を受けてもやめそうにない。
その原因を作ってしまったカルナは、紅茶を飲みながら目を逸らし、気まずそうにするばかりだ。
「あら?」
カルナは寝台がもぞもぞと動き出したのに気づいた。
ディアナが起きたようだ。
むくりと起き上がったディアナが、不安そうにキョロキョロと辺りを見回し、やがてカルナと兄の姿を見つけて笑った。
天使の笑顔である。
その笑顔に究極の癒やしを感じながら、
「今夜、ディアナと一緒にいてくれる人を探さないといけないわね。メロは案内人として必要だから、ディアナがひとりぼっちになってしまう」
しばらく考え、
「ひとり適任者がいるわ。事情も知っていて秘密も守れる人が。その人にまかせるわよ」
とカルナは言ったのだった。