お風呂から出たあとシーヴァーが用意してくれた部屋に食事を運んでもらい、カルナはディアナとふたりで食事を楽しむことになった。
手づかみでパクパク食べ出したディアナを優しく見守り、
「おいしい?」
と聞けば、ディアナは頷く。
おかずを掴んでいる両手は、ソースでベトベトだ。
その光景に、給仕していた侍女が驚いて眉をひそめたが、カルナは気にもとめない。
ディアナは今、赤ちゃんからやり直しているのであり、誰かと一緒に食べたり、会話する楽しさを知るのが先だった。
いきなりテーブルマナーから入り、誰かと一緒に食べること、話すことが嫌いになってしまっては元も子もない。
カルナは、手や口もとをふいてやり、
「すぐに手が汚れてしまうわね」
そう言い、ナイフとフォークで小さく切って、ディアナのために用意した子供用のフォークに差し、
「あーん」
あーんしたディアナに食べさせた。
「使う?」
フォークを差しだしたカルナに、ディアナは、ためらったものの、笑顔で首を横にふった。
「あーんしたい?」
笑顔で頷く。
「わかったわ」
カルナはクスクスと笑い、食べさせてあげることにした。
ディアナがこれ、これと食べたいものを指定し、そのたびにカルナはディアナの口元に運んだ。
そのうちディアナは、いちいち指示しながら食べるのが面倒と感じたのか、カルナが持っていたフォークを持ちたがり、自分でフォークを持って食べ出した。
「ふふ(賢い子ね…)」
と思いながら自分の食事に戻る。
やがて食後の紅茶が運ばれてきたとき、うつらうつらと眠そうにしているディアナに気づいた。
(あら?)
見れば、メロは部屋の奥の寝台で、既に寝落ちしている。
(この時間、いつもメロとお昼寝しているのかしら)
「眠い?」
「いや、眠くない。眠りたくない」
泣きそうな顔で、ぎゅっとカルナを掴んだ。泣きそうなのは眠いからだと察したカルナは、
「ルナはどこにもいかないわ。起きるまで一緒にいる」
「本当?消えない?」
「ええ。これからは一緒よ。メロの隣で眠りましょう」
奥の寝台でディアナを寝かしつけたあと、ふたりの眠りを妨げないよう周囲に結界をはり、カルナはテーブルに戻った。
紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、冷めても美味しいのが紅茶である。
お茶以外の食器を片付けさせ侍女も下がらせ、ソファーに移動し、ひとりの時間をのんびりと楽しんでいると、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」と声をかけると、ドアが開き、この宮の主(あるじ)、シーヴァー・ドリュアスが姿をみせる。
立ち上がって上座を譲ろうとするカルナを「いや、いい」と静止し、カルナと向かい合うかたちで肘掛け椅子に座った。
シーヴァーは、奥のベッドですやすやと眠っているディアナを確認し、表情を優しくする。
「改めて礼を言う。6年も皇宮にいながら気づかなかった。情けないことだ」
「教えてくれたのはガイアよ。私が気づいたわけじゃないわ」
「それでも君がいなければ、こんなにはやく保護できなかった。しかし、そうなると……」
「本当なんだな。俺と君がガイアとの契約に失敗すれば、世界が滅ぶというのは」
「そうみたい。夢であって欲しかったけど」
カルナは、改めて昨夜のガイアとの会話を思い出し、
「真実の愛を捧げることについては、ゆっくり考えましょ。やろうと努力して出来るようなものじゃない気がするわ」
「同感だ」
捧げるものが抽象的すぎてシーヴァーも困惑するばかりだ。
「ただ……」
とカルナは紅茶のカップを置き、
「私達が心の底からそう思っているのなら、それで良さそうな気もするのよね」
と天井を仰ぐ。
ついで勢いよくシーヴァーのほうに顔を向け、
「あなた、私を見てこれが真実の愛か!とか、思ったりする?」
「いや、思わないな。この結婚には満足しているが」
シーヴァーはすぱっと即答した。
「そうよね。私もよ」
カルナは、ため息をついた。
シーヴァーの視線に気づいて、
「なに?」
「いや…君は俺と結婚したいと言った。子供が欲しいのはわかったが、どういう感情だったのだろうと思ってしまってね」
「どうって…そのままよ。インスピレーション(見た目)で決めたわ」
上品に見た目と言っただけで、実はカラダと言っていることを、シーヴァーは見抜き、
「ほう」
(この動物め……)と言いたくなった。
「き、君には、こころは、どうでもいいということかな?」
顔をひくつかせて、問えば、
「うーん。どうでもいいというか…兄をはじめ尊敬できる人、気の合う人、趣味の合う人、大好きな人なら男女問わず沢山いるのに、男の人と思える人が私には見つからなかった。いないから誰とも結婚を考えられない。せっかく見つかったのに、その人を前にして、いまさら心なんて問題にするわけないでしょう?普通の女性なら自分に酷いことをしない殿方かどうか慎重に見極めなければならないのだろうけど、私には必要ないわ」
怖がらせているのは私―――ふふふ、とカルナは自嘲する。
「なるほどね」
シーヴァーは背もたれに身体を預けた。
俺は、身体より心の結びつきにこだわる。そちらのほうが特別だからだ。
彼女の場合、逆なのか……
(そうだ。俺もいなかったじゃないか。16の頃から適当に遊んできたのに、これはと思える女性がいなかったから結婚を先延ばしにしてきた)
素晴らしい女性は沢山いたのに、結婚したいと思えるほどの精神(こころ)惹かれる女性がいなかったんだ―――
そして……結婚はしたものの、今もわかっていない。
彼女のほうは、俺を唯一とし、浮気は許さないとはっきりしている。
じゃあ俺は?俺は相手に何を求める?
「君のいう、真実の愛だが」
ぽつりとシーヴァーがつぶやく。
「もしうまく捧げられなければ、俺のせいだという気がしてきた」
「どうして?」
「俺は…自分でも何を探しているのかよくわからない。君みたいに相手に求めるものがない。美しさも賢さも優しさも作法も教養も大切とは思っているが、どれも違う気がする」
「それが普通だと思うわ」
カルナは、なんでもないことのように言う。
「え?」
「少し前、風の大公の結婚相手を見つけるのに協力したの。普段から適当に女性と付き合う言う人なのに、花嫁選びには苦労したものよ。私に出来たのは、かたっぱしから女性と会わせることだけだった。そしてレディ・アリアンとは出会ったその日に結婚すると言い出して、私が協力したら天翔(あまかけ)る車をひく精霊(こ)をお前のために探してやると言い出すほど彼女に執着した…」
優しく風を受け止め前に進む――探していたのはこれだ!とフォルセティは言っていた。
出会うまで、わからなかったのだ。
「なんというか…本人にしかわからない感覚があって、それは美しいとか優しいとか頭がいいとか、一般的な言葉で他人(ひと)に説明できるようなものじゃないのでしょう。見つける前は大勢の人と共有できる一般論を言いたがるけれど、実際に見つけたら他人とは共有できない、するのも嫌になる気がするわ」
カルナは喉を潤すため、紅茶をひとくち飲んだ。
「なるほど。そうかもしれん……って、ちょっと待て!天翔(あまかけ)る車をひく精霊(こ)とは何だ?!」」
シーヴァーが座っていた椅子が、派手な音を立てた。
え?そこ?とカルナは面食ったものの、
「えーと、精霊には特定の遊びばかりやりたがる特殊な精霊がいるのだけど……その中に天翔る車を動かして飛ぶのが大好きな精霊がいるのよ。彼らは風の大公しか見つけることができないうえに希少なの。今のアイオロス家所有の天翔る車を動かす3柱の精霊は、探し出すのに丸2年もかかっているから…私のも時間がかかるでしょうね」
「ということは君と結婚したら…いやもう結婚しているが、精霊達はドリュアスへ来てくれるのか?」
「ええ。あれはカリナンではなく、私の車を惹く精霊(こ)達だから、そうなるでしょうね。でも私に車を作るお金はないわ。あの精霊(こ)達は、好みにうるさいのよ。車を作るお金は半分兄上に出してもらおうと思っていたから、カリナン家所有の車にする予定だったけど……」
「俺が出す、いやあるんだ」
皇宮の奥深くでひっそりと眠っている車(くるま)の話をした。
「改良すればいいだけだから、そんなに金はかからないと思う」
「そうなのね。それなら私のお金だけで足りるかもしれないわ」
「いいや、君のものだけにはさせないよ」
にこにこと笑うシーヴァーの笑顔は、商人のそれだ。
「……それについては、あとできちんと話あいましょう」
後々どちらに所有権があるか揉めないようにしないと、とカルナは固く誓う。
シーヴァーのほうは心なしか、いきいきし出したように見えた。
「ところで君は、社交は得意か」
「得意かはわからないけれど、苦手でもないわね」
「そうか!天翔(あまかけ)る車が手に入ったら巡幸を復活させて、各地を回りたいと思っているんだが」
「それなら問題ないわ。3歳からやっていることですもの」
おおとシーヴァーは声に出し、
「田舎に行くのは嫌とか、あったりするかな」
「まさか。必要があれば、どこにでも行くわ」
ならふたりで帝国中を回れる―――とばかりシーヴァーは頷き、
「俺達はいまのところ素晴らしいほど順調だ。このままいけば真実の愛と思える日も夢じゃない気がしてきた」
前言撤回しなければ、と言った。
「だといいけれど、その前にどちらかが死んでしまったら強制終了……って、そうよ!!」
カルナはかっと目を見開き、テーブルに両手をついて前のめりになり、シーヴァーに迫る。
「だから、あなたドリュアスのガイアに逢いに行き、承認してもらわないといけないわ。ガイアの加護を受けるのよ」