「……わかった。私が…いえ、私達が契約するわ」
カルナ・カリナンは覚悟を決め、きっぱりと言い切った。
ここは神界。ただ光のみが支配する世界だ。
今のカルナの話相手は、白の創造神ガイアである。
「そうか、ではがんばりたまえ。光のカリナン。精霊使いの姫よ。
君達が失敗すれば今の世界は消滅し、私は新たな世界を創造するだろう。
私が数十万回と世界の創造と破壊を繰り返してきた中で、この神界で神と逢い、精霊と心を通わせ、魔法を使うヒトが誕生したのは今回だけだったから…二度と今と同じヒトが誕生することはないだろうね。
ま、ひとつ気楽にやってみることだ」
はっはっはと陽気に笑ったガイアに、
(せ、世界の滅亡を、そんなにお気楽に言わないで頂戴!!!)
きーっとガイアにケリを入れたい衝動にかられるが、精神体ではどうにもならぬ。
身体は、ついさっき夫になったばかりの、この帝国の若き次期皇帝のもとにあるはずだから。
「さぁ、戻れ、姫よ。ぜひとも私に、君たちふたりの【真実の愛】を捧げてくれたまえ。それで世界は救われるだろう」
ふざけているのか、本気なのかもわからないニコニコ笑顔で言い放たれて、カルナはくらっときた。
よもや、夢見る少女のような言葉を創造神から聞かされようとは。
大公位継承権を持つ姫として生まれ育てられたカルナにとって、これほどわからないものはない。
すべては祖国・マガー連合公国で、沈む夕日を見た、10時間前からはじまったのだ―――
男と女の仲はわからない―――
などと23歳のカルナ・カリナンが、カリナン屋敷の東屋(あずまや)から、沈む夕日を見ながら黄昏れたのは、200年前の今日、ちょうどこの日、この時間に、23年の短い人生を終えた女性のことを思い出したからである。
彼女の名はジスティナ・ラケシス。
生まれた時の名をジスティナ・カリナンと言った。
この世界の魔法の発見者にして魔法士の生みの親。
精霊使いの国・マガー連合公国からドリュアス帝国のユーリス・ドリュアス帝に嫁ぎ、魔法を発見したがゆえに魔女として処刑された女性(ひと)。
そして……
その時までドリュアス帝国の帝都の上空にあった、このマガー連合公国の天の大地が崩壊したのも200年前のこの日、この時だった。
あの日崩壊し、地に墜ちた天の大地は今、こうしてドリュアス大陸の東の魔の海に浮かんでいる。
それにしても、今の世界をジスティナが見たら何というだろう―――
人々の憎しみと罵声を浴びながら、断頭台へと上がったのが、きっと彼女の最後の記憶。
けれど、その後を生きた者達は知っている。
彼女の夫であるユーリス・ドリュアス帝が、ジスティナの意志を引き継いで、魔法の普及と魔法士の保護に尽力したことを。
そして彼女が発見し、ユーリス帝が育てた魔法はこの世界を劇的に変えたことを。
それは、まさに革命だった。
人々は朝から晩まで働いて死んでいくだけの人生から解放され、文明の利器と余暇を手に入れた。
今の民達は、300年前の貴族よりよほど快適な暮らしをしている。
その功績を称えられ、今、自分が処刑された広場に彫像が建ち、神殿では聖女として祀(まつ)られていることなどジスティナは知る由もないだろう。
まして現在、ユーリス帝が、ジスティナ妃を愛していたことが、疑いようのない事実とされ、哀しくも感動的な愛の物語として語られていることなど。
生前、一夫多妻のドリュアス帝国において「ユーリス帝に愛されていない唯一の妃」と臣民から冷笑されていたのに、だ。
ジスティナの兄の子の子孫としては、
(あとから愛されていたなんて言われても、死んでしまったジスティナは、そんなことは知らないわ。生きているうちに知らなきゃダメでしょう)
と、消えゆく太陽に向かって、心の中でつぶやいた時、近づいてくる人の気配がした。
振り返れば、姿を見せたのは彼女の兄、光のカリナン大公家の当主、ミハイル・カリナンだった。
「待たせたな」
「本当よ、何もやることなくて、じっと夕暮れ空をみていたら、せつない気持ちになってしまったわ」
しみじみと言うカルナに、ミハイルはぷっと吹き出し、
「お前でもそんな気持ちになるのか?それはすまんことをした」
言いながら優雅に座ったミハイルに、我が兄ながら、あいかわらず無駄に美形すぎる男だとカルナは思う。
ちまたでは、絶世の美男と言われているそうな。
カリナン家の特徴ともいえる、漆黒の髪に黒曜石の瞳。真珠色の肌。
そして女性的な、月のごとく繊細な容貌。
さぞかしモテるだろうと人は言うが、現実はまったく違う。
そもそも世継ぎを作るのが大切な仕事のひとつであるマガーの王のひとりでありながら、27歳になっても独身など信じられないことだ。
彫像のように眺めているだけなら大絶賛の嵐でも、この兄のお相手となると皆泣いて嫌がるのだった。
まったく女より美しく、輝く肌の男なんて死んでも夫に選びたくない気持ちは、よくわかる。
なにもかも持ってるような男は、かえってモテない―――そういえば神話に登場する完全無欠の美しすぎる男神も、しょっちゅう恋した女性に逃げられて振られていた、しかし少年に恋したときの成功率は高かった、兄上も案外…と妹とは思えない失礼すぎることを考えたとき、
「……いっておくが、お前も似たようなものだからな」
カルナの心を読んだかのように、ミハイルが口を開いた。
「私には好きになれる相手がいないだけよ!相手を探しもしない兄上と一緒にしないでください!」
私は頑張っているわ―――カルナの強い抗議は、ミハイルにはまったく感銘を与えなかったようだ。
「ほう。それで、23になっても結婚もせずに社交界に居座り続け、夜な夜な渡り歩いているわけか。お前が一部の者達からなんと言われているか知っているか?カリナンの姫は、醜女(しこめ)で派手好き、遊び好きの擦れっ枯らし女だそうな」
妹への愛情と優しさを含んだ声で、ミハイルは噂を思い出して笑いだす。
「まぁね」
今年で23歳になるカルナ・カリナンは、マガーで、いや、この世界のいずれの国の貴族社会においても、嫁ぎ遅れといってよい年齢だった。
マガーの名家の女性は16歳で社交界にデビューしたあと、そこで相手を見つけ、20歳ぐらいで結婚する。20を過ぎても独身であるときは、親の決めた相手と結婚させられるというパターンだ。
親の言いなりになって、財産と身分だけが取り柄の男と結婚させられたくないのなら、社交界で自力で素敵な殿方を捕まえるしかなく、みな必死なのである。
カルナの場合、両親ともに不在とはいえ、王女殿下と呼ばれる身分の女性が23歳になっても独身とは異例中の異例だ。
であればこそ、様々な噂も飛び交う。
黒曜石の瞳に真珠色の肌。そしてカリナンの姫の特徴である腰まで届く長い黒絹の髪。顔立ちもミハイルとよく似た繊細な容貌だが、彼女には、生まれつき右目から右頬へとうねる紋様のような痣(あざ)があった。
痣と呼ぶには珍しい赤色で、あまりにもはっきりと描かれているので、よく入れ墨と間違えられたりもする。
それが真珠色の肌にツタのようにからまって、格好いいと感じる者もいれば、逆に恐ろしい気持ち悪いと面と向かって言われたことも一度や二度ではない。
もっとも言われたところで、カルナには、なにひとつダメージを与えることができないのだが。
大公家に生まれた以上、常に人に与える者となれ―――
それこそがカルナに与えられた教育だったのだから。
とはいえ、そのような容貌に生まれたことがカルナの人格形成に、多少の影響を与えたことは、否定できない。
そもそもマガーにおいて、カリナン族の女性は、物腰柔らかな優しく優雅な女性が多い。
光は守りの力であるが、歴代のカリナン大公家の姫は「守れる力があるのに、守れない役立たず」と揶揄(やゆ)されることも多くあった。
優しく繊細な性格ゆえに行動に移せず、甘すぎる処分に周囲を納得出来ないという気持ちにさせてイラつかせていたのである。
カルナ・カリナンの場合、カリナンの遺伝子を受け継ぎながら、気性は歴代カリナンの姫と真逆という珍種であり、16歳で社交界デビューしていきなり、嫌がる少女を暗がりにひっぱり込もうとしていたどこぞの名家のバカ息子に跳び蹴りをくらわせ「私がいる社交界で、レディを侮辱する者は許さない!」と高らかに宣言した経歴の持ち主だ。
「これぞ待ち望んだ、守りのカリナン!かっこいいです、カルナ様!」と拍手喝采される一方で、
「嘘だといってくれ……これが、カリナンの姫を名乗るなんて悪夢だ」と嘆く人々多数。
独身のマガーの貴族男性からは「カリナンの突然変異」と呼ばれ、
「あんな猛獣と結婚なんて冗談じゃない!ベッドの中でうっかり怒らせ不能にされたらたまらない」
と避けられているのだった。
だが、腐っても守りのカリナン大公家の姫。
「カルナ様がご一緒なら安心だ」
とか、
「カルナ様がご出席なさるなら、参加してよろしい」
とご令嬢達は、過保護な保護者から言われてしまうとあって、カルナの元へは、お茶会・サロン・夜会への招待状がひっきりなしにくるのだった。
カルナとしては、周囲が自分に期待している役割を十分に果たそうと、スケジュールをギリギリつめて「公務」としてやっているつもりなのだが、外から見ている者はそうは思わない。
カルナは、嫁ぎ遅れの年齢であっても、社交界全体に、にらみをきかせてシメるには若すぎる年齢であり、まして独身女性がやるようなことではないのだから。
かくて諸外国に響き渡るカルナの評判は、
「生まれつき顔にひどいアザのある醜い女でだれも結婚したがらない。派手好きで遊び好き。婚期を逃してもせっせと社交パーティに通いつめる痛い大女」
というものであった。
大女(おおおんな)とは、男性の平均身長より背が高く、それなりの数の男性を見下ろすハメになるからである。
「……もう、何もいえないわ」
諦めたように盛大に溜息をつくカルナを前に、
「溜息はまだはやい。最近では、風のフォルセティ・アイオロス大公に失恋したとの武勇伝が加わっている」
とミハイルはにやりと笑う。
「は?」
なぜ、新婚のフォルセティ・アイオロス大公の名が出てくるのかとカルナが無言で兄に続きを促せば、
「お前、この間、フォルセティの結婚の世話をしただろう?結婚相手の女性を探すのを手伝って欲しいといわれて。そのせいで、頻繁にフォルセティに会っていた、彼と多くの集まりにパートナーとして顔を出していた、その後フォルセティは結婚した。その事実から、お前が美しいフォルセティ大公にご執心で言い寄ったものの相手にされず、身分の低い女に負けたというストーリーになったらしい」
「信じられない!」
知っていることに妄想をくっつけて適当に解決しようとする者の、なんと多いことか。
少なくとも貴族とは国に仕え、人を治める者であるはずだ。
誠実に真摯に人と向き合うことを面倒くさがる貴族(もの)なんて、仕事ぶりも知れている。
「ふっ、私がいいバカ発見器になっているようで、なによりよ」
とカルナが冗談めかして皮肉を言えば、
「ああ。五大公の会合でも感謝されるよ」
ミハイルにさらりと肯定され、カルナは複雑な気分になった。
でも……
「ですが兄上、情報は管理して制御するもの。私の情報をそのまま国外へ流して、彼らの趣味と価値観に合わせて好き勝手に想像させているようだけど、マガーになんのメリットがあるわけ?」
現にミハイル・カリナン大公のほうは、諸外国ではまったく謎に包まれている。
200年前、マガーの大地の移動と海面着陸を成功させたヴァレリ・カリナンの力を受け継ぐマガー最強の精霊使い、マガーの守護神のことは、誰も知らないのだ。
「なに、そのままなら、お前の片割れも興味を持つと思ったのさ。なんせ恋は貴族の発明品、便りだけでも出来るというからな」
「ああ確かに。見合い相手に送りつける肖像画も加工し放題よね。実物に出会って騙されたと思い、そして実際に話をして100年の恋も覚めるのだわ。その点、墜ちるところまで墜ちている私はラクよ。でも片割れってなんですか?」
「それはまだ気にしなくていい」
話題を打ち切ってミハイルが沈黙したことで、カルナは自分が夕暮れの東屋(あずまや)にいる理由を思い出した。
ここにいたのは、従者を通してミハイルから話がある、東屋で待っているようにいわれたからである。
「ところで兄上、話って?こんな雑談をするために呼んだわけではないでしょう」
「ああ、そうだった。カルナ、お前、シーヴァー・ドリュアスを知っているか?」
「……ばかにしているの?知らない人のほうが珍しいと思うわ」
マガーより、海を隔てた西には、ドリュアス大陸と呼ばれる広大な大陸が広がる。
その大陸すべての国々の、最高権威者として君臨しているのが、大陸と同じ名を姓に持つドリュアス皇家だ。
シーヴァー・ドリュアスは、そのドリュアス皇家の第一皇子であり、まもなく皇帝となる男の名である。
確か今年で25歳になるはずだ。
彼は、3歳で皇子としての身分を失い皇宮から出され平民として帝都で育ち、19歳で父帝に世継ぎの皇子として皇宮へ呼び戻されたという変わった経歴の持ち主としても有名であった。
しかも、平民時代は、ただの平民ではなかった。
母方の祖父は、一代で巨万の富を築いた天才商人であり、シーヴァー自身は16歳の時に祖父から巨額の遺産を譲り受けている。
その後、帝国を相手に商売をする叔父に同行し、帝都中を旅していたと聞く。
それが19のとき一生遊んで暮らせる自由な生活を手放して、わざわざ皇宮に戻ったのである。
即位すれば、歴代のドリュアス皇帝の中でもっとも美しい皇帝が誕生すると言われていることもあり、マガーの社交界でもよく話題にのぼる。
政治的な才覚にも恵まれていたらしく、この6年で完全に人心を掴み、ドリュアス皇宮を掌握したと聞いているが……
「一夫多妻のドリュアス皇家で、いまだに妃がひとりもいないのは珍しいわよね。なにかあるのかしら?」
「それはお前が直接聞いたほうがいいな。相手のことが、そこまでわかっているなら十分だ。お前の好きにしろ。全面的にまかせる」
「へ?」
カルナはこの時、反応が遅れたことをすぐ後悔することになった。
ミハイルがなにごとかつぶやき、カルナの身体がふわり、と宙に浮く。
ミハイルが風の精霊を呼んだのだ。
彼らはミハイルを「タイチョー」と呼んでいる、騎士ごっこ遊びが好きな三柱の風の精霊達であった。
ミハイルと騎士ごっこ遊びがしたくて、彼と契約した変わった精霊達だ。
「なにをするのよ!!離しなさい!」
無礼な風の精霊に対して抗議してみるものの、精霊たちは空中でもがくカルナを無視し、楽しげに東屋(あずまや)から連れだそうとするばかりだ。
「ちょっとあんたたち!兄上がタイチョーだからって、ひいきのし過ぎよ!少しは私のことも大切にしようって思わないの?私はお腹だって空いているのに!」
風の精霊達が、ぴくりと震えて、迷いだす。
カルナかわいそう、食べさせてあげよう、だめだよ、タイチョーのメイレイを聞かないと、でもカルナ、死んじゃうよという、ささやきが聞こえてきた。
ミハイルはその様子に、
「相変わらずだな、お前は。普通、契約精霊がマスター以外の者の話を聞くことなどないのに。お前ときたら、どんな精霊とも心を通わせる。だが心配無用、我が風の精霊達よ、それはカルナのためになる。一食抜いても死にはしないから、安心して私の命に従うがいい!」
『はっ!タイチョー!』
精霊達は可愛らしく敬礼し、迷いも消えた。
「この……!」
カルナは無性に腹が立ってくる。
空中から足をばたつかせて、もがいても無駄であった。
風の精霊達は、どんどんカルナの身体を浮上させていく。
「兄上のバカーーっ!ぐれてやる!!」
ぷつりと切れたカルナがミハイルに喚(わめ)いた瞬間、風の精霊たちは西の彼方へ猛スピードで飛んだ。
なにをいまさら―――やんわりとした優しい微笑を浮かべながら、ミハイルは愛する妹を見送った。
「多少、予定が狂ってしまったが仕方あるまい。23年か……」
妹が消えた方角に目を向けて、一人残されたミハイルはつぶやいた。
カルナは、身も心も十分すぎるほど成熟した。
激しい思い込みで動く少女の時を過ぎ、自分の心がわからず迷う娘の時期も過ぎた。
今のカルナなら、すべてを自分で決めることができるだろう。
義務と思うこともなく、運命と思うこともなく、悲壮な覚悟で使命と思うこともなく。
そして、迷うこともなく。
「自らの心の声に従い、自らの意志で選ぶがいい。私は…いや、マガーは、それに従うだけだ」
ミハイルの周囲に集う光の精霊たちは、そんな大公を心配そうに見守るばかりだった。