さて。
カルナを見送ったあと、シーヴァーは私室へと向かっていた……
のだが。
「皇子!申し訳ございません!」
と、女官がかけより謝罪してきた。
シーヴァーは、いきなり謝られて「?」となったものの、理由はすぐに判明した。
こちらへ走り寄ってくる招かざる客の姿が見えたのだ。聖魔法士オリヴィアである。
ドリュアスでは光属性の魔法士のうち、上級回復魔法が使える魔法士のことを、特に聖魔法士と呼ぶのだった。
「今日は面会出来ないとお断り申し上げたのですが…押し切られてしまって」
女官は恐縮しきっている。
今日と明日しかない短い新婚休暇を邪魔することになったがゆえの、申し訳なさだった。
シーヴァーは苦笑し、
「いや、いい。オリヴィアは、いつもああだからな。聖魔法士が度胸満点なのはいいことさ」
相手が何者であっても怯まずに「行く」勇敢さは、聖魔法士に必要な能力だ。
今は経験が足りず、空回りすることが多いが、まだ17歳。
将来が楽しみな魔法士だ―――と前向きに考えることにしている。
そうでもしないと、とても光の魔法士とは付き合えない。
ありがとう、あとは私が引き受けると女官を下がらせ、シーヴァーは、その場でオリヴィアを待つことにした。
それにしても……オリヴィアのあとを追いかけるようにやってくる女性。
(あのアデリーナと一緒とはな)
アデリーナは現在27歳(ということになっているが)。
若い魔術士達の姉のような存在で、オリヴィアも慕っていることは知っている。
シーヴァーはすこしばかり警戒した。
やがて、目の前にやってきたオリヴィアは息をはずませて、
「お許しください!皇子。わたしが閉じ込められてしまって!誰ですか、私を閉じ込め、皇子をだまして妃になった恥知らずな女は!?」
いきなりである。
シーヴァーがその言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
副魔法士長にして、魔法士長代理をつとめるラウルスが、グリエルモの恋人をシーヴァーの妃に選ぶはずがない。他にいると思っていたが……
「エルダの儀の妃に選ばれていたのは君だったのか……」
言うと同時に、
(ちょっ、ちょっと待て……)
シーヴァーは頭が痛くなってきた。
貴重な聖魔法士を、エルダの儀で妃に迎えて後宮で飼い殺しにするなぞ、帝国民のためになるはずもない。
(ラウルスの奴……何を考えているんだ?!)
思いつつもシーヴァーは、
「それは…閉じ込められた君には気の毒だったが、結果的に良かったと言うしかないね。聖魔法士を皇家が独占するわけにはかない」
普段とかわらぬ口調でオリヴィアに伝えた。
その時、オリヴィアがちらりとアデリーナに視線を送ったのをシーヴァーは見逃さなかった。
そしてシーヴァーにはそれだけで十分だった。
本当に何がしたいのだろうと思う。
アデリーナ(この女)は。
オリヴィアが妃になることに力を貸す一方で、オリヴィアを阻止し、別の者をシーヴァーの妃にしようとする。
昨日までのシーヴァーなら、帝国を滅ぼすためと思ったところだが、今のシーヴァーには「オピーオンの使徒」という言葉が、しっかりとインプットされている。
ひょっとして、と思わずにいられない。
「……閉じ込められていたと言ったね。どこに?」
「えっ、あ、はい!魔法士の塔の倉庫です!」
オリヴィアは憤慨する。
これからエルダ大神殿に向かうと魔法士長代理への報告を終え、皆の祝福をもらい、魔法士の塔を出ようとした時、誰か!と助けを求める若い魔法士と出会った。
聞けば倉庫で足を滑らせて大怪我をした者がいるという。すぐにかけつけたら倉庫には人気はなく、外から鍵をかけられてしまった。
「…アデリーナが助けてくれたのか?」
「はい。そうです」
シーヴァーはそうかと頷き、アデリーナを見やる。
「ありがとう。アデリーナ。私からも礼を言う」
「まぁそんな。もったいないお言葉でございます。当然のことをしただけですわ」
ふわりと優雅に礼をする。どこからみても慎み深い美女である。
「それでオリヴィア。君を閉じ込めたのは、知っている魔法士だったのか?」
「いえ、はじめて会った魔法士だった…と思います。フードをかぶり、顔まで覆っていたから、よくわからないわ」
「それでどうして警戒もせずに、ついていくんでしょうね」
それでもプロか―――と騎士団所属のクリスは、怒りを込めた声でぼそりと言った。
魔法士団は創設されてから100年もたっておらず、訓練方法も手探りゆえに騎士団からみると「学校の延長」のアマチュア組織に見えるのだった。
クリスの声は、オリヴィアには聞こえなかったのか彼女は構わず続ける。
「あ、でも目の色だけは覚えています。珍しい紫色の目をした若い女性でした。見たことないから、やっぱり初めての人だったんだわ」
「紫…そうか」
グリエルモの恋人も、珍しい紫色の目をしていた。
カルナが目の色を紫に変え「紫色の目をした平民女性」を装った理由がここにある。
もしシーヴァーが気づかず、彼女を妃に迎えていたら今頃、考えたくもない面倒な事態になっていたことは間違いない。
新魔法士長への不信、副魔法士長の座を巡っての争い、魔法士の分裂、そしてグリエルモが、新帝を憎む可能性……
他には?
「オリヴィア。君は誰の仕業と思う?」
聞かれたオリヴィアは迷わず、
「そんなの、アンドレア様の息がかかった者に決まっています!」
その言葉にシーヴァーはえっとなった。
ここへきてまさかの新しい登場人物の名である。
シーヴァーの皇妃候補のひとり、アンドレア・クスタキス侯爵令嬢。
「なぜレディ・アンドレアが?誰がエルダの儀の妃になろうが、彼女にとっては同じだろう?」
「まぁ!皇子はご存じでいらっしゃらないのね。クスタキス侯爵家がどんな家なのか…」
貴族の中には、いまだにジスティナ妃を魔女と嫌悪し、魔法の恩恵をうける一方で、魔法士を人とも思っていない者達がいる。
クスタキス侯爵家がまさにその筆頭であり、令嬢であるアンドレアもまた魔法士を嫌悪していた。
彼らにとって、魔法士はアクセサリやドレスのようなモノと変わらず、人間扱いしていない。
「あんな方に皇妃になられて好き放題されたら、魔法士は仕事ができません。だから今回は後宮という閉鎖的な空間で、アンドレア様と対峙できる魔法士を選ぶ必要がありました。だから私にもチャンスがあったんです。思い切って立候補したら、たくさんの仲間達が賛成してくれて。確かにオリヴィアなら安心だって。ラウルス様は絶対にダメだとおっしゃいましたが、仲間達が休養中の魔法士長に直談判(じかだんぱん)してくれて…魔法士長が賛成してくださったので、ラウルス様も最後には折れてくださいました」
と、オリヴィアは夢見心地で、感激したように言う。
「なるほど」
そういう裏事情があったのか。シーヴァーは笑うしかない。
若い魔法士達に集団で直訴された、ラウルスの苦労が目に浮かぶようだ。
魔法士長にまで賛成されては、打つ手なしだったに違いない。
クリスが苦虫をかみつぶしたような顔になった。
感激するのはお前らだけだ、なんの根回しもなく皇帝が聖魔法士を妃に迎えるようなことをしたら、領公達の反発は必至、そんなこともわからないのか―――と、表情で伝える。
シーヴァーは「俺がフォローすれば、すむことだ」と囁き、クリスをなだめ、
「教えてくれてありがとう。オリヴィア。誰を皇妃に迎えようとも、いまと何も変わらない。君達が気持ちよく仕事できるようにすると約束するよ」
安心させたあとで、
「つまりレディ・アンドレアは、君に私の妃になられては困るから、こんなことをしたと?」
「そのとおりです!!アンドレア様は、私のように皇子と親しくもなければ、力を貸してくれる仲間だっていません。私に勝てないと思ってのことでしょう」
鼻高々のオリヴィアである。
「ああ、うん。そうだね」
シーヴァーは平和的解決にむけて、一番無難な返事を選び、クリスは、もはや反発する気力もない。
「ご存じでいらっしゃいますか?あの方、初等学園では私よりひとつ上でしたが、取り巻きと一緒によく魔法士志望の学生や下級貴族を苛めていましたわ。たいして優秀でもないのに、プライドだけは高くて…」
「そうか」
その後もオリヴィアは、延々と批判を続けるが、シーヴァーは適当に聞き流すのみだ。
こうした雑言(ぞうごん)は、皇子になってからというもの、嫌というほどシーヴァーの耳に入るようになった。
話を聞くたびに、貴族達は何を求めて俺に話すのだろうと思う。
行為の善悪を判断するのは法であり、シーヴァーが裁くことなど、できないのに。
だがきっと、こうして貴族達が争いあったとき、彼らに言葉を贈り、諭すのはドリュアス皇帝の大切な役目なのだ―――
頭でわかっていても、平民育ちのシーヴァーには、これが難しかった。
権力も金も優秀な頭脳も持っているはずの貴族が、その力を守るべき民に対して使わず、コップの中で争い、誰それが酷いだの、苦しいだの苛めだのと言っているのを聞くと「いい加減にしろ」と言いたくなる。
いったいどう言えば、
彼らの意識を帝国民に向けさせることが出来るのか―――
その言葉を、シーヴァーはずっと探していた。そして見つけることができなかった。
ふとシーヴァーは、今朝、カルナが話していた創造神ガイアの話を思い出す。 誰もが欲しがるゆえに、譲り合い話し合い、時に奪い合う世界―――
(ああ、そうか……)
「オリヴィア」
シーヴァーに優しく呼ばれ、オリヴィアは話を中断した。
「エルダの儀の妃になろうとするのに、よほどの覚悟と勇気が必要だったと思う。そこまで私を慕ってくれていたのだね」
「えっ」
オリヴィアの顔が、かぁぁっと赤くなった。
その素直な様子にシーヴァーは思わす微笑んでしまう。
「ありがとう。とても嬉しいよ。私も君のことは好きだが、残念ながら妃にしたいと考えたことはないんだ。私は、君を大切な臣民として愛している。だから、これからも私の大切な臣民でいてもらえないだろうか」
これにはクリスも驚くことになる。
シーヴァーが「愛している」なんて言葉を使うのは初めてであったから。
「そう…ですか。じゃあ、妃にならなくて、良かったのかしら」
「ああ。良かったんだ」
「そうですか」
オリヴィアは自分に言い聞かせるようにもう一度言い、
「はぁー、なんかスッキリしました」
顔を上げ、晴れ晴れとした表情をみせた。
オリヴィアは自分の思いや考えを口にして行動にうつせる勇敢な娘だ。心に屈折した感情を貯め込むことがないから立ち直るのもはやい。
「でも、私を卑怯な手段で嵌(は)めた女が、このまま皇子の妃の座におさまるのは納得できません!」
「ああ、よくわかる。それは私が引き受けるよ。休暇が終わったらラウルスを呼んで話し合うつもりだ」
その言葉にオリヴィアは頷き、
「わかりました。でも私はどうしたらいいのかしら?このまま魔法士の塔に行ったら、あれこれ聞かれてしまいます」
「誰かに閉じ込められて、妃になれなかったと正直に話せばいいさ。隠す必要もないことだ。アデリーナに助けられ、私のところへ来て、こうして話あってみて、これで良かったと思っていることもね」
「あっ!隠さずに話していいんですね!それなら簡単です」
安堵したオリヴィアに、
「その隠さず話すというのが、普通は難しいんだがなぁ」
シーヴァーは苦笑し、こうしたところは、カルナとよく似ていると思った。
そこで、ふと気づく。
カルナ・カリナンとは昨日出会ったばかりであり、普通は彼女を見て「オリヴィアと似ている」と考えそうなものだが、そうは思っていないことに。
彼女は誰にも似ていない。誰かに似ているとは思えないでいる自分に気づいたのだ。
「それでは、私は、これで失礼させていただきます。本当に本当にあの女が誰なのか身元確認して、処罰してくださるのでしょうね?!」
「ああ」
その時、黙ったままのアデリーナが、ほんの少しだけ口もとを歪めたことにクリスが気づいた。
シーヴァーが注意を向けていないところに、注意を向けるのが彼の役目である。
「帰りましょう。アデリーナ」
「ええ。失礼いたします」
アデリーナは優雅に礼をし、オリヴィアとともに立ち去ったのだった。