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エルダの儀

7

エルダ大神殿より、南東に下ったところに皇宮はあった。

馬車が到着した時間は早朝であり人もまばらだ。といっても8時少しすぎだが。 皇宮勤めの貴族は、8時に起床し、お風呂に入り、家族とゆっくり食事を楽しんだあと、11時頃に仕事に入る。 マガー人なら「昼から仕事なんて遅すぎる」と思ってしまうが、帝都はマガーより日照時間が長く、日が落ちる時間も遅いため時間割が違うそうな。

つまりシーヴァー・ドリュアスは皆の負担にならないようにといつもの起床時間にあわせて帰ったわけで、カルナはあとで「周囲にとても気を遣う人よね」と評すことになる。

ともあれ、あらかじめこの時間に帰ると伝えておいたのだろう。
「お帰りなさいませ。お疲れ様でございました」
30代後半の女官長兼侍女長(長ったらしいので女官長と呼ばれている)である女性と、二人の侍女が出迎えた。
皇宮のしきたりなど知識面でサポートをするのが女官、衣装を整えたり、お茶を入れたりと身の回りの世話をするのが侍女である。
衣装もまったく違う。女官はいかにも身持ちが固そうな知的でシンプルなドレスだが、侍女はいわゆるメイド服だ。
「入浴なさいますか?」
女官長がたずね、シーヴァーは、ナッツが入っていた空の袋を侍女に渡しながら、
「いや、少し用をすませてから入るよ。しばらく部屋で休ませてくれ。食事はいつもどおり10時に。今日は部屋に運んでくれ」
「畏まりました」
全員が、ろくにカルナの顔も見ようともしないことで、どうやら自分が「どうてもいい」と思われていることをカルナは感じた。
まぁ、昨日の神官達の態度からも感じていたことだが……

「おいで。皆に紹介しよう」
シーヴァーが左手を差し伸べ、カルナはその手をとる。
「私の妃となったルナだ。よろしく頼むよ。いろいろと教えてやってくれ」
「はい……」
注意深くカルナを観察してくる彼女達に、カルナはにこやかに挨拶する。
「このたび縁あって妃となりましたルナでございます。末永くよろしくお願いいたします」
姓を伝えなかったのも、愛称呼びなのもシーヴァーと相談済みのことである。そして今のカルナは、目の色を紫色に変えていた。

女官長と侍女達は、カルナのことを「紫色の目をした平民女性」と認識したようだ。女官長、そして皇帝になる者に仕える上級侍女ともなれば全員が貴族、こんな女に頭を下げるのは嫌という態度ながら、それでも仕事と割り切って、
「ようこそおいでくださいました妃殿下。西の館へご案内いたします」
女官長が礼儀正しく応じ、侍女のひとりが案内しようとした。

「待て、そのことだが気が変わった。彼女の部屋は本宮の私の住居区に用意してくれ」
その言葉に女官長は驚き、
「ですが、本宮の住居区は皇帝と皇帝のご家族しか住めないところでございます」
「そうだ。私の妃だ。夜ごと西の館まで通うのは面倒すぎるんだ」
「か、畏まりました。すぐにご用意いたします」
なにを想像したのか、頬を染める。
「それまで彼女は、私の部屋に滞在させるよ。おいで、こっちだ。クリス、悪いがお前もついてきてくれ。伝言を頼むかもしれん」

皇宮の廊下を早足で歩きながら、
「さて、どこがいいんだ」
とたずねたシーヴァーに「見晴らしのいいところ」と、カルナは迷わず答える。 皇家の守護精霊はマスターから離れて、そう遠くへはいかないはずだ。
この200年、代替りの儀が行われていないのなら、皇家の守護精霊のマスターは、まだユーリス帝のはず……
「そうか。なら、空中庭園がいいな」
シーヴァーは本宮の階段を駆け上がった。
扉を開ければ、目の前に飛び込んできたのは緑の芝生。
こんなものが、本宮の屋上にあるとは……
芝生が緑の絨毯のごとく敷き詰められていて、ところどころにベンチがあり、庭園というより公園に近かった。
「裸足で歩きたくなるようなところね」
素敵とカルナがため息をつく。
「そうだろう?よくここで食事したりお茶を飲んだりするんだ」
空中庭園は、本宮の住居区ではなく、執務区のほうにあり、時にテーブルや椅子をセッティングして、臣達とのちょっとした話し合いや食事会にも使われる場所だった。
「朝は、ここで食事をして、そのまま仕事へ入ることもあるよ」
カルナは空を見上げ、ぽつりと
「……日中、日焼けがすごくて、貴婦人(レディ)が嫌がりそう」
貴族女性の中には、肌の白く保つため、涙ぐましい努力をする者がいることをカルナは知っている。
「そうなんだ!令嬢(レディ)につきまとわれても、俺は空中庭園に行くが君も一緒にどうだと聞くと、皆断って、誰もついてこない。いやー、本当に、ここは心のオアシスだよ」
俺の一番のお気に入りの場所―――とキラキラッと自慢げにシーヴァーは言いい、
「君もこういう場所は嫌か」
「いいえ。私の肌はいつもこうですから当たり前なんて言われることもありますが、日光浴は大好きよ」
「君は日焼けしないのかい?」
「ええ。これも継承の子の証ですから」
などと会話をかわしながら、カルナは庭園を歩き、適当な場所をみつけようとする。
やがて丁度良い場所を見つけ「ここにします」と塀を登り出し、危ないと言おうとして、シーヴァーはぐっと堪えた。
マガー国から空を飛んできた人だ。精霊使いには当たり前のことなのだろうと。

カルナは塀の上に立った。
本宮は皇宮のほぼ中央にあり、それもちょうどいいと彼女は思った。

カルナは全身で風を感じ、意識を風にのせる。
カルナの意識は皇宮中をかけめぐり自由に羽ばたいてゆく。
そして西の一角にある館……
(いた…!)
「見つけた。守護精霊はここよ」
塀から飛び降りて、クリスから万年筆と紙を受け取り、壁を机がわりに簡単に地図を描こうとする。
ざらざらの壁にペン先を押し付けているので、ペン先をダメにしてしまうかもと振り向けば、
「かまいませんよ、我々騎士が携帯しているペンはそうした使い方を想定して開発されています」
とクリスが言ったため、カルナは豪快に描きだした。
書いている間、
「俺の母方の実家が開発した騎士用の万年筆であることを付け加えておこう」
とシーヴァーが言ったようだが、カルナはそれに付き合うどころではない。忘れないうちに書き出そうと必死であった。
「ここよ」
とカルナが示せば、シーヴァーがそれをのぞき込み、
「ここは……西の館?いやあり得ないだろう?」
続けて、
「ここは君の住居になるはずだった西の館だ。廃墟でも牢獄でもない。最近でも…いや今も、君を迎える準備のために頻繁に人が出入りしているはずだ」
「そう…今から確認してくるわ」
「わかった」
「連絡はどうしたら?もし見つかっても素直に館を出てくれるとは限らないわ。離れている間に姿を隠されたら最初からやり直しよ。精霊の声が聞こえる人がいたらいいのだけれど」
「こいつが聞こえる。風の精霊限定だが」
な、連れてきて正解だったろとぺちぺちとクリスを叩き、クリスは心底嫌そうな顔をした。
「(やっぱりそうなのね)では、風の精霊を使者によこすわ」

《運べ 風の精霊》
カルナの足は地をはなれ、ふわりと風に乗った。

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