「スコール…」
早朝でほとんどの職員は出勤していないとはいえ、人目もはばからず抱きつく。
「ちょっと、あなた!」
スコールの隣にいる形でいたマドリーナが咎める。だが、リノアはその声を完全に無視した。
「私と、結婚してほしいの。スコールとずっと一緒にいたい。スコールを誰にも渡したくないの。だから、結婚したい。ダメ?」
リノアはスコールを見上げた。余分な言葉の過程をすべて省き、いきなりの求愛である。
マドリーナは目の前の女のずうずうしさを通り越した行為に怒りながらも、沈黙を守った。彼女が言う必要はなかったのだ。
この手の女には、突き刺すような冷酷な視線で一瞥するのが、スコールだった。相手にしたことはおろか、優しい言葉の一つもかけたことはないのだ。マドリーナはその光景を幾度となく見てきた。
マドリーナにとっては、なんともいえない快感の時が訪れるだろう、その時を待った。だが、彼女の期待ははずれた。
突き放すどころか、彼は抱きついている女の髪を梳きはじめたのだ。ガードマンに思いっきり引っ張れたせいで、くしゃくしゃで、からまっている髪の毛を、指先を入れて、器用に梳(す)く。
受付のティアが、蒼白になり、駆け寄ってくる。
「申し訳ございません、少将。わたくしの責任です」
せいいっぱい頭を下げ、リノアをスコールから引き離そうとする。スコールは手を上げ、制止する。
「いいんだ」
ティアは驚愕しつつ、先ほど、リノアの言ったことを思い出す。
「あの、では、この女性の言ったことは、本当だったのでしょうか…閣下の…」
「ああ、そうだ。迷惑をかけた。あとは、私が引き受ける」
持ち場へ戻るように、といわれ、ティアは思ってもみなかったことと、今後の成り行きを気にしながらも、戻った。
「閣下…」
マドリーナの声にスコールは視線を動かす。コーベン国務大臣も執務室の入り口に立って見守っていた。
「大臣、非礼ですが、しばらくお時間を下さらないでしょうか。私は彼女と決着をつけなくてはなりません。それが、先ほどの問題の解決にも繋がると思います」
「…なるほど。わかった。待とう」
決着、という言葉で、コーベンは、スコールが、この女との仲を清算するつもりでいる、と信じた。マドリーナも同様だった。
なるほど、結婚しなかった訳だ。職場まで押しかけてきて、人目もはばからず、このような行為をする女が、少将の妻になれるとは思えない。上流階級において、軽蔑される精神世界に生きている女だ、と思った。上流階級の女性は、教養にあふれ、優雅で賢く、常に夫を支える存在でなくてはならない。みっともなく人前で取り乱すような者は軽蔑され、結局、夫にも恥をかかす。恋人ならいいが、妻ともなると躊躇(ためら)うのは当然だ。
二人は納得した。
スコールは二人の内心にはかまわず、礼を言い、リノアを私室へとつれていく。久しぶりに二人っきりとなった。
スコールはリノアをソファーに座らせ、自分も横に座った。リノアの表情は不安そうでだった。彼女も『決着』の言葉に、別れを連想したのだ。
リノアは『最悪』になることを覚悟した。スコールの手がリノアの髪にふれる。
「…お前、言う気になったのか?それとも、思い出したのか?」
リノアはスコールから勢いよく飛びのき、派手な音をたてて、手を合わせる。
「ごめん!スコール。私、忘れていたの。エスタに行って、約束思い出したの。あの時、今度は私から言うって約束したのに、私ずっと言わなかった。だから、約束、果たそうと思って。遅いかもしれないけど、いいの。言いたくてきただけだから。だから…」
「だから?」
スコールは短くリノアを促す。
「嫌なら、断ってもいいの。でも、私、言いたかった…」
スコールは、柔らかい表情になる。念を押して訊いてみる。
「約束したからか?義務感から仕方なしに?」
リノアはふくれっ面になる。今、自分がプロポーズしていることすら、一瞬忘れたらしい。
「なんでそんなこと言うの!私、迷惑かけてばっかだけど、スコールに嘘ついたことなんてない!酷いよ!」
「…・だな」
スコールは苦笑する。言われるまでもなく、そのことは、スコールが誰よりも知っている。ただ、意地悪してみたかっただけだ。
リノアは、再び自分がプロポーズしていることを思い出したらしい。
「あの…結婚してください…」
リノアは、さっき、おもわず喧嘩ごしに怒鳴ってしまったことに気恥ずかしい思いをしながら、改めて言ってみる。
スコールはため息をついた。
「何年経っても、俺はお前に振り回されてばかりいる。これからも、ずっと、そうなのだろうが…それが嫌じゃないのだから不思議だな…」
独り言のようにいい、今度こそ、笑った。リノアが大好きな、静かな優しい笑顔で。
「…受けるさ」
リノアは、肩の力が抜けた。こんなにスコールの前で緊張したことはかつてなかった。スコールの短い言葉に、心がほぐれる。
「本当にいいの?スコール、無理していない?」
スコールは肩をすくめる。
「俺はそんなに優しい性格じゃない。我ながら、いい趣味をしている、と思いはするがな」
「なによ!それ!だったら、結婚してくれなくたっていい!!」
スコールはリノアのくやしさを滲ませた抗議にも平然として、
「無理だな。お前が悪いんだぞ。毎日、毎日、騒動を起こすかと思えば、今度は、付きまとって、泣いたり、笑ったり、忙しいことだ。おかげで、俺は、退屈に耐えられなくなった。いまさら他の女に魅力なんぞ感じるか」
スコールは冷ややかな目で、言い切った。リノアは地団駄を踏む。
「結局、わたしに惚れてるってことじゃないの!それをいうなら、私だって、いい趣味してるもん!スコールなんてさ、冷酷で、無愛想で、鈍感で、そのくせ、優しいとこいっぱいあるし、暖かくって、安心できて……あれ?」
『いい趣味』の意味からはずれていくような気がして、リノアは、首を傾げる。スコールは、くすくす笑った。
「確かにいい趣味だな。ところでリノア、お前、太ったか?」
リノアは今度こそ、本当に怒った。
「酷い!!最低!」
「…・五年前と指のサイズが変わっていたら困る、と思っただけだ」
リノアは目をパチパチさせた。やがて、その意味を悟った。
「変わってない…と思う」
それは、よかった、と、スコールは軍服の裏ポケットから、小さい金属を取り出す。
リノアが五年前、貰うのを拒んだ物。
「いつも、持っていたの?」
「持ってて正解だろ。お前は思いついたが即実行、ところかまわずだからな。渡すタイミングを逃したくはない」
だから、と、リノアの左手を取り、薬指にはめた。ぴったりはまる。
リノアの目から大粒の涙がぽたぽた流れ落ちる。
「わたし、なんで忘れてたんだろ。すっごく嬉しかったのに、幸せだったのに、どうして忘れること出来たんだろ?スコールがいつも一緒にいてくれるの、当たり前だと思ってたんだね。ごめんなさい、ごめんなさい」
情けなくって、拭っても、拭っても、ぽたぽた、涙がつたう。
「いいさ。リノアの横には、いつも俺がいること、それこそが俺の望みでもある」
「わたし、スコールの横に、いていいの?ううん、いるの?」
スコールは何のことだかわからず、リノアはカードを返した時の気持ちをぶちまけた。エスタで、ジェーンとアリスに言われたことも含めて。
VIPルームに通してもらえなかった時、がんばっても追いつけないと思った、そう打ち明けられ、スコールは、呆れる。
「どうやったら、そう思えるんだ?資料室にいることを選んだのはお前だろう?それとも、お前、ここのルームの職員になりたかったのか?だったら、叶えてやるぞ。能力的にも問題ないしな」
リノアは、ぶんぶん、横に首を振って否定した。
「それ見ろ。お前はいつだって、他人になんと思われようが、迷うことなく、自分のしたいことを選ぶんだ。縛り付けることは出来ない、他の男に取られる日がくるかもしれない、そう思って不安と戦っているのは俺のほうだぞ」
スコールの声には、わずかばかり、リノアを責める心がこもっていた。彼にしてみればこの2日間、気が気でなかった。騎士廃業の宣言されることすら覚悟したのだ。
「俺は本気で悩んだんだぞ。自分からもう一回言おうか、だが、約束破ったと言われて泣かれたら?それとも、お前にその気はないからか。俺はもうリノアに必要とされてないのかもしれない…そう思った」
リノアはしょんぼりする。スコールはこんなにも自分を大切にしてくれていた。ただ、自分の為に、待っていてくれた。
リノアが詫びの言葉を言おうとしたとき、スコールの指先がリノアの唇を閉ざす。
「だが、もう、いい…・手に入れたから」
リノアを腕の中に引きずり寄せ、抱きしめると同時に、舌を絡めるように強く、唇を重ねてきた。優しくはなかった。痛いほど、激しかった。
そんな激しさもリノアには嬉しい。スコールの首筋に両手を回し、腕の力も唇も負けないように強く押し返す。同じくらいの強い想いを伝えるために。