トーマスとユリウスは、一瞬顔を見合わせたあと、
「そうでしたか…使徒とは違うかもしれませんが、オピーオン教ならば、知っています」
トーマスは続けた。
「皇子。皇子がまだ民間にいらした頃、オスティア領国が、ギグティス領国に侵攻したことを覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、もちろんだ。確か…俺が14歳の時だな。今の俺の立場で言っていいことではないが、あの時の行政長官は最悪だった」
マテオ・キュロスだったか…とシーヴァーは思い出す。
「五摂家の当主のひとりとして、返す言葉もございません。お恥ずかしいかぎりです」
今から11年前、帝国の中央に位置するオスティア領国が、北に隣接するギグティス領国に侵攻した。
その時、ギグティスは、中央政府に助けを求めた。
中央政府はオスティア領公を大非難し、ただちに侵攻をやめるよう書簡を送る。だが、それだけだった。助けるための具体的な行動は、なにひとつおこさなかった。
ユリウスが、怒りを込めて吐き捨てる。
「本当に最悪だった。争いを好まない穏やかな気性と誰もが思っていたら、助けを求める帝国民を前にしても争うのは嫌だといい、何十万もの帝国民を見殺しにできる冷血だった。私は第五騎士団の団長でしたが、あの時のあいつの言葉は、忘れられません。どうせ間に合わなかった、帝都民に犠牲者がひとりも出なかったのだ、巻き込まれなくて良かったじゃないかといってのけた。あの男は騎士達が死ななくて済んだと、自分に感謝していると信じて疑っていなかった」
帝国民の命が危険にさらされた時、国や騎士が彼らを守ることを放棄するならば、いったいなんのための国であり公僕であり騎士だというのか。
領国に家族を残し、帝都で働いている者は多い。騎士団の中にもオスティアやギグティスを故郷にする者がいたのだ。
何もしてあげられなかった遺族の嘆き、信じていたものに裏切られた怒り、帝国民がどれだけ国に失望したのか、あいつは「今も」理解できていない。
それでも帝国崩壊とならなかったのは、オスティアの西にあるメトネ領国、北東にあるイカリオス領国、そして東にあるフォスタート領国が奮戦したからだ。
三領国は、領境に騎士団を配置しオスティアをけん制し、メトネ領国とイカリオス領国は、一時的に通行税を撤廃し、ギグティス領国から逃れてくる領民を受け入れた。
そして、フォスタート領国は「人道支援」の名目で、イカリオス領国経由でギグティスに騎士団を送った。
「銀の領公」と呼ばれるアレクセイ・フォスタート領公は当時まだ14歳の少年ながら、
「ギグティスに侵攻してきたオスティアの騎士は、すみやかに斬れ」
と命じていたので、中央の騎士団がやるべき仕事を、フォスタート領国の騎士団がほとんど引き受けたようなものだった。
結局オスティアは、自領内でオスティア領公が亡くなったのをきっかけに、3ヶ月で兵をひく。
「その時、報告にあったのがオピーオン教の存在です。亡くなったオスティア領公は、奇妙な宗教に肩入れしていたようだ、と。それがオピーオン教でした」
「初耳だ」
トーマスの発言にシーヴァーは驚く。
「でしょうね。オスティアの領公がガイアに背を向け、邪神を崇めていたなどと公(おおやけ)に出来ませんでしたから。今のオスティア領公家である、ステパノス家を帝都に召喚して罪を問い、領公家を替えることを検討したのですが……」
「フォスタートの領公が興味ぶかい報告を寄こしましてね。ギグティスを襲っていたオスティアの黒の鎧(よろい)をまとった騎士達は、明らかに普通の人間ではなかった、と。そして、オスティアの領公は、自領民を脱出させるために、戦争をしかけたのではないかと言ってきました。実際にフォスタート領国には戦争のどさくさにまぎれ、オスティアから数万規模の領民が脱出してきたそうです。その中には領公や貴族、騎士達の家族も含まれていた」
逃げてきた者たちは、
「今のオスティア領国は、化け物の すみかだ。オスティア領公は私たちを逃がすために……」
戦争だったら、あいつらは反対しない。私たちを逃がすための苦肉の策だった、と。
ひとりの少女が、預かっていたオスティア領公の手紙を差しだした。
”私は酷い領公だ。自領民を逃すために、ギグティスの領民を犠牲にしようとしている。我が民だけが奴らの生け贄となり苦しむ理由などないはずだ、と。代償は私の命で払う。フォスタート領公 彼らを頼む”
そう書いてあった。
さらに情報を集めたフォスタート領公は、
”領公家をすげ替え、オスティアに新たな領公を送り込めば、今度はその者が餌食となる可能性が高い。オスティア領国に封じ込め、周辺に被害が広がらぬよう監視していくべきかと”
そう報告してきた。
「……皮肉なことに行政長官がマテオ・キュロスだったため、彼の主張は全面的に聞き入れられ様子見となった。以来、オスティアは、沈黙を続けています。あそこの領公家や貴族は、社交シーズンにも帝都にこない。あなたもオスティアには、入国しなかったはずだ」
トーマスの問いに、
「ああ、国からオスティアへの入国禁止の通達が出ているからダメだと。侵略した制裁だと聞かされた」
しかし、まさかそんなことになっていたとは……
「……全員が脱出できたわけじゃあるまい。オスティアにとり残された者達は11年も苦しんでいるのか?」
「わかりません。何度か偵察のため人を送りましたが、戻ってきた者がいない」
ユリウス・カルロが答える。
「そうか…」
ユリウスは続けて、
「ですが何もしなかったわけではありません。向こうにも時間を与えてしまったでしょうが、我々にも時間が必要だった」
と、ラウルス・ラムに視線を送れば、ラウルスは頷き、
「ええ。極秘で帝都とフォスタート領国を転移の魔法陣で結びました。平和ボケした帝都貴族達を説得するのに何年もかかりましたが」
ようやくいつもの調子が戻ってきたようだった。
「近いうちに内戦になると?」
シーヴァーが問えば、
「おそらく。オスティアがこのままでいるとは思えません。ですが、目的は今もわからない」
トーマスが答えた。
その言葉にシーヴァーは、しばし考え込み、
「トーマス。ドリュアス神話で、邪神を封じたとされる地はどこだった?」
「オスティア領国のピュグマ火山です」
唐突な質問にもそつなく答えることが出来なければ、行政長官は務まらない。
「それだ…」
シーヴァーはようやく腑に落ちた。
「彼らは、オピーオンを復活させようとしているんだ」
意味がわからず、あっけにとられている三名を前に、シーヴァーは黙っているわけには、いかなくなった。
責任は俺がとると覚悟を決める。
「ここから先の話を、信じる信じないは、お前達の自由だ。エルダの儀でカリナンの姫が不思議な夢を見たといっていた。創造神ガイアに会い、黒の創造神オピーオンが復活しかかっていると教えられたと。オピーオンが復活すれば、創造神の座をかけた戦いがはじまる。その時、ガイアが負ければ封じられ——その前にヒト族は滅ぶだろうが、黒の創造神オピーオンが新たな世界の創造神となる」
三人とも何も言わぬ。
重苦しい空気が、場にただよった。
「信じられないか?」
問うたシーヴァーに、
「……いえ、信じますよ」
沈黙を破るように口を開いたのは魔法士長代理のラウルスだ。
「私は魔法士ですから。精霊がいるのなら神もいるのでしょう」
「私もですね」
総団長のユリウスが言う。
得体の知れない敵と対峙するのは苦痛だ。覚悟もきまらず、精神が削られるばかり。
ようやく正体がつかめた、間に合ったという安堵のほうが大きい。
「…それを理由に領公や貴族達を説得することは、難しいですね」
トーマスが、唐突(とうとつ)に言い出す。
彼は政治家である。
それゆえ信じるよりも、知ることを、理由の正しさよりも、結果の正しさを重視する。
この問題を解決するためには、領公や貴族の協力が不可欠であるという現実を、彼は既に見ていた。
「それなんだがな。帝国民の命には変えられないが、黙っていても守れるなら黙っていてほしい。カリナンの姫から秘密にと言われているのに、俺の独断でバラした」
「そうですか」
トーマスは、小さな声で笑った。
この6年でシーヴァーが認められたのは、けっして継承の子だからという理由だけではない。
どんな時も帝国民最優先で、ものを考える皇子だからである。
母親の身分が低かろうが、どこで育てられようが継承の子は継承の子。
そのことを思い知らされた貴族は多かったはずだ。
トーマスもそのひとりだった。
「でしたら、それが出来るか判断するためにもカリナンの姫から、詳しく話を伺いたいと思います」
「わかった」
「姫は、いまどちらに?」
「彼女は今、もうひとつの問題を片付けている最中だ。失われた斬の剣を探している。たぶんあれは今度の戦いに必要になる」
「ああ…」
トーマスは納得し、
「それでは明日にしましょう。我々は持ち帰って検討いたします。姫に確認すべき点の整理を」
「了解した。頼んだぞ」
シーヴァーは椅子から立ち上がって退出し、他の三名も追随したのだった。