「……ど、どうして」
刺されたところの熱さに、オリヴィアは信じられないという顔をした。
それを見下ろしながら、
「どうしてって、あなたがいけないのよ。あの男に丸め込まれて、引き下がったりするから」
と、直前まで彼女が仲間と思っていた女はいった。
(あの男…?)
まさか、シーヴァー皇子のことを言っているのとオリヴィアは思った。
女はいつもとかわらぬ口調で、
「ごめんなさいね。貴方には期待していたのだけれど……でも貴方ったら甘いんですもの。どうして殺そうと思わないの?どうして、自分も嵌(は)めてやろうと思わないのかしら?あなたのそういうイイ子なところ、私は昔から嫌いだったわ」
(え…)
なんの話か。
ここに来る途中、他愛のない会話の中で、
あとは皇子と、ラウルス様にまかせて…信じて…その決定に、従うと言った…こと?
女は、ため息をつき、
「200年前の、あの連中もそうだった。待つことを選んだら、魔法が誕生してしまった。当初の目的は果たせたけれど、今も後悔しているわ。なぜもっと早く、確実に消す方法を選ばなかったのかしらと」
心底、残念そうにいう。
(200年…?いったい…)
オリヴィアの意識は、そこで暗闇に包まれた。
やがて動かなくなり、心臓の鼓動も消えた彼女を見下ろし、
「ああ…こんなに安らかに死なせたくなどなかった。あなたを復活なさった黒の創造神の生け贄に捧げたかったわ。本当に残念」
はらはらと心からの悲しみの涙を流す。
もし、この場に誰かがいたら、その光景の「美しさ」にぞっとしたことだろう。
それは、人とは違う理(ことわり)の中で生きる生物の、ガイアに創造された世界で生きる者には到底理解できぬ、倒錯(とうさく)した悲しみと美。
「オリヴィア。貴方はここに閉じ込められ、私が発見した時は、既に息絶えていた。貴方はエルダの儀の妃となった女に殺された。あなたを閉じ込め死なせ、貴方のかわりに、まんまと妃になったあの女…こんな酷いことが許されていいの!証拠がないですって?だから逃げられるとでも?いいえ、逃がさないわ。あの女は、犯した罪を償うべきよ」
怒りを込めてぶつぶつと話す。
現実と自ら作り出した妄想を、たやすく入れ替え、心底信じることが出来るのが、この女の特技だ。
だから彼女の嘘を、嘘と見抜くのは難しい。
かつて「お前は心を病んでいる」と言ったのは、誰だったのか……思い出せぬほど、ずいぶん昔のことだ。
でも、私を理解してくださる方に出会った。
この才能を買われて、私は永遠の命を手に入れた。
「私が貴方の仇(かたき)を、とってあげる」
そう言い残し、今朝までオリヴィアが閉じ込められていた、魔法士の塔の中にある倉庫をあとにする。
がちゃりと扉がしまり、闇と静寂に支配された部屋で。
ポン ポン———
二柱の光の精霊が姿をあらわした。
どうしよう?
光の姫様のところへ 運ぼう
そうしよう
ぼくたち オリヴィアが 大好き だもの
光の精霊達は、動かぬオリヴィアの身体を、ゆっくりと浮かせたのだった。
「メロちゃん、メロちゃん、あなたのおうちはどこですか?」
カルナが問いかけた先には、ソファ前のローテーブルで赤ちゃん座りをし、大きなクッキーを食べているメロがいた。
メロは、食べかけのクッキーを両手に持ちながら、ぽかんとカルナを見つめる。
周囲にはお菓子のクズがいっぱい散らばっており、口もとにも付いている。
メロはクビをかしげ、やがて再びクッキーを食べ出した。
(だめか…)
カルナは、がくりときて、大きく息を吐き出す。
メロのおうちとは、皇家の神器、すなわち
「琥珀(こはく)の斬(ざん)の剣」
のことだ。
カリナン大公家の守護精霊のココも、普段は真珠の斬の剣の中にいて、マスターのカリナン大公は、必要な時以外は呼び出さない。
そして守護精霊が宿る「斬の剣」はマスターが肌身離さず持ち歩くのだが、ココによると、それはマスターと手を繋いだり抱っこされているのと同じで、とても気持ちよくて満足だそうな。
時々、剣を触ってくれると頭を撫でられているのと同じで、嬉しいと言っていた。
メロにも、そんな状態でいてもらわなければ困るのだ。
ディアナもこれからレディになるための勉強がはじまり、ずっとメロと遊んでいるわけには、いかなくなる。
カルナも明日からしばらくは、精霊より人間のほうに重点をおいて活動することになるだろう。シーヴァーにも公務や戴冠式の準備がある。
だから、
(できれば、休暇が終わる今日中に、メロのおうちを見つけたい)
と思えど、メロをすぐに見つけたカルナも、精霊の宿らぬモノは見つけられない。
できる限り、メロに思い出してもらわなくては。
カルナは質問をかえた。
「メロのマスターは、まだユーリス帝よね」
『うん』
「ディアナと会うまで、どこで何をしていたの?」
『おねんねして、メロンを食べて、お菓子を食べて、またおねんねしてた。起きてと言われて起きたらディアナがいたの』
「西の館で?」
『うん』
「そう…」
メロンをたべるために初夏に……あれ?そういえば。
(エルダの儀の日は、夏至の日じゃなかった?)
この世界、夏至の日は必ず満月だ。毎年重なる。
(ひょっとしてその日だけ、創造神への道が開く……?)
その時、ノックの音が聞こえ、ついでシーヴァーとディアナが姿を見せた。
ディアナは嬉しそうに、両手いっぱいに本を抱えている。
シーヴァーと一緒に図書室へいき、読む本を見繕ってきたのだ。
メロが、待っていましたとばかり、ディアナに飛びかかり、
『おかえり!ディアナ!ご本は?絵がたくさんあるのを選んできたでしょうね?』
お姉さんぶった口調でいう。
「うん。これ」
ディアナが持ってきた絵本をメロ見せる。
『でかしたわ!!一緒にご本を読みましょう!』
「メロ、その前におててと口もとをふきなさい。素敵なご本が汚れたら悲しいでしょう?」
カルナに言われ、メロは大急ぎでテーブルにあるナプキンで手と口をふき、どう?と手の平をカルナに見せる。
「いい子ね」
カルナに褒めてもらい満足したあと、ソファに座ったディアナの膝の上、一緒に本を読みだした。
「そうか、斬の剣か」
言いながらシーヴァーはコーヒーカップを静かに置いた。
昨日、カリナン大公が持っていたのを、むろんシーヴァーは覚えている。
皇家の神器は、あれが琥珀(こはく)でてきたものだということも知っている。
守護精霊とともに失われたと思われていた皇家の神器。
失ったなど口が裂けても言えないことだったから、今も「ある」ことになっていて、
夜と静寂を司る神、エレボスの神殿に祀られていることになっている。
夜と静寂を司る神であるがゆえに、エレボス神の神殿は、限られた神官以外に出入り出来ぬ。
「そこにある」ことにしておく場所として、エレボス神殿が最適だったというわけだ。
「だけど、神器の行方が、そう簡単にわからなくなるものかしら?ユーリス帝の次の代に何があったの?」
「俺もよく知らない。晩年は孫に任せていたはずだ」
「孫?息子ではなく?」
「ああ。ユーリス帝は長寿だったからな。亡くなるのは皇太子のほうがはやかった」
「そう」
その時、
『光の姫様』
声がしたほうにカルナとシーヴァーが注意を向けると、メロがローテーブルに立っていた。
眠っているお姫様に、王子様が近づく絵本のイラストをこちらに向けている。
『思い出した。マスターが、メロのおうちはジナのお墓に入れるっていっていたわ』