「なるほど、それで俺か」
再び呼び出されたエリックは、ぼうっとしていて眠そうだ。
無理もなかった。明け方に戻って、眠っていたところを数時間で起こされたのだから。
(お前ら、昼まで寝ると言っていなかったか……)
なんでこんなに元気なんだ。
まぁ、ふたりはディアナが起きてしまったため、寝ているわけにはいかなくなってしまったのだが……
それでもエリックは、大好物の(ほどんどシロップ漬けの)パンケーキとコーヒーの組み合わせを前に、まぁいいかと思うことにしたようだ。
「しかし、墓といってもジスティナ妃は皇家の墓には葬られていないぜ。当時は罪人だったからな。晒し者にすることはユーリスが許さなかったというから、どこかに丁重に葬られたはずだが、記録は残っていない」
言いながら、エリックはパンケーキをせっせと切り分ける。
パンケーキは、ナイフとフォークで全部切り分けてからフォークのみで食べるのがクセだ。
「子供みたいな食べ方だ」と言われても改める気配がない。
「そしてユーリス帝の亡骸(なきがら)も行方不明だ」
言い終えてエリックは、ひとくちめとなるパンケーキを口の中へ放り込んだ。
エリックの言葉にシーヴァーはえっとなる。
「彼の墓は皇家の墓地にあるだろう?」
「棺の中は空だよ。一部の者にしか知られていないけどな。死の直前、彼は姿を消してしまった。そしてそのまま見つからなかった。その時に神器も行方知れずになったみたいだな」
「そうだったのか…待てよ、それじゃ、ユーリス帝が、ジスティナの墓を探せと言った意味は…」
シーヴァーの疑問にエリックは頷き、
「ああ。そういうことだろうな。斬の剣はユーリス帝が肌身離さず持っていた。皇帝の神器だからな。何十年も前からジスティナ妃の側で死ぬつもりだったんだろう」
「そうか」
シーヴァーは沈痛な面持ちになる。
死期が迫ったユーリス帝は、おそらくは彼だけが知るジスティナ妃の墓へと向かった。そしてジスティナ妃の側で亡くなったというのか。
ユーリス帝が唯一嫌っていた妃と信じている者が多かった当時、その可能性に誰も気づかなかったことだろう。
だから見つけられなかった……
「悲しい片思いね」
カルナが沈んだ表情でぽつりとつぶやいた。
その言葉にエリックは歴史学者としての探究心を刺激されることになる。
「妃殿下は、ユーリス帝の片思いだったとおっしゃるのですか?ジスティナ妃は、好きではなかったと?」
「ええ。エルダの儀でジスティナが嫁いだ時、ユーリス帝には、既に複数の妃と子がいたもの。妻子のいる殿方は、それだけで恋愛対象外だったはずよ」
「…そこまで理性で制御できるものですか?恋愛には好きになってしまった、止められなかったという話がつきものですが」
「カリナンなら出来るわ。特定の感情を、自らの意志で閉じ込めればいい。簡単なことよ」
「な、なるほど。ですが、一夫多妻といえども夫なわけで、感情を閉じ込める必要はないんじゃ?」
カルナは、うーんと考えるように天井を見上げ、
「例えば、騎士団で同じ隊に同等の指揮官が2人も3人もいたら、強くなるどころか弱くなってしまうでしょう?それと同じで自分と同じような立場の妃が複数、まして自分の上に皇妃がいれば、カリナンは力を発揮できないわ。カリナンにとって妻子ある男性に恋することは、自分の手足を縛り、監禁する男に惹かれるかと聞かれるのと同じよ。誇りにかけて、ありえないと断言できるわ。でも男女の愛だけが、愛ではないから…別の愛はあったかもしれないわね。戦友とか」
ジスティナがあっさり死ぬことを選んだのは、託せるユーリス帝がいたからかもしれないとカルナは思った。
「戦友か…」
確かにそんな関係だったのかもしれない。
ジスティナが発見した魔法を育て、普及させたのはユーリス帝だ。
ユーリス帝は50年以上もジスティナの望んだとおり彼女の友人として生き、最後の最後で……
「妃殿下の仰るとおり、どこか哀しい」
実際どうであったのか、今はもう知ることもできないが。
カルナは、そんなエリックのほうを向き、
「ねぇ、エリックさん。ジスティナの死とともに姿を消した、なんかこう…謎と言われているような女性はいる?」
エリックは「?」と不思議そうな顔をする。カルナは続けた。
「私はずっと不思議でした。なぜ、カリナンの姫が、わざわざ身分を落としてまで妻子ある殿方に嫁ぐことを選んだのか。なぜ周囲がそれを許したのか。最初から何か目的があったとしか思えない。それが魔法の研究だったのかはわからないけれど…いずれにしても変装はカリナンには簡単なこと。ジスティナが別の名前、別の姿で活動していても不思議ではないわ」
マガーにおいて、カルナはカリナンの突然変異とされ、歴代カリナンの姫は守れない役立たずと思われているが、これは正しくない。
単にカルナは、堂々とカルナ・カリナンとして売られたケンカを買い、第三者にわかりやすいやり方で解決しているだけである。
だが歴代カリナンの姫は違った。姿を変え、別の名を名乗り、人知れず活動するもののほうが多かった。
これはマガーの守護神としてその力を秘匿せねばならず、派手な活動を禁止されていたからだとされる。
それが変わったのは、つい最近のこと———
いや、私がはじめてじゃない?とカルナは思っている。
父である先の大公に、何か思うところがあったのか……
「なるほど。つまりジスティナ妃の処刑と同時に消えた女性がいれば、それがジスティナ妃と同一人物だったのではないかということですね」
ジスティナ妃は、妃としてはなんの実績も残していない。
西の館にこもり社交もやらず、交流もせず、いつも部屋に閉じこもって、怪しげな魔法研究に耽っていたとなっているが、光の道を使うことができるのなら、そこから外へ行くことなど簡単だっただろう。
この時、姿を消した女性と聞いて、エリックはある女性の名が真っ先に浮かんだ。
だが彼女は違うだろうと即座に否定する。
なぜならその女こそが、ジスティナ妃を処刑台へ送り込んだ女だったからだ。
他には……
「わかりました。調べてみます」
「お願い」
カルナがコーヒーを口につけたとき、心ここにあらずのシーヴァーの様子に気づいた。
「あら?どうしたの?」
その声に引き戻されて、
「いや、ユーリス帝がジスティナ妃の墓の側で死ぬつもりだったと聞いて、考えていた。俺ならどこを選ぶかと。自分が死ぬのは何十年後のことだろうから、その時に協力者がいるかなんてわからないだろう。皇宮の自分の部屋を抜け出して行ける場所、野ざらしになっても誰も気づかない。野犬も盗賊もおらず、警備する者もいない場所…」
エリックが、
「地下迷宮か!」
と、気づいたようにつぶやいた。シーヴァーは頷き、
「ああ。迷い込んだら二度と出られないと言われる皇宮の地下迷宮だ。ユーリス帝は迷わず出入りすることが出来たのかもしれない。人間図書館と呼ばれるお前はどうだ?エリック」
「……俺には無理だな。道を覚えようにも地図がない。歩きながら道を覚えることはできるが、あそこは途中、仕掛けがいくつもあると聞く。何かを避けたり、身体が回ったりしたら方向を失うさ。仕掛けのある迷宮は、アリアドネの糸では、頼りなさすぎて怖いよ」
「地図があったら?」
「そりゃできるだろ。全体を見れば、この時は常に左を選べばいいというような法則を見つけられるからな。ルールがないとモノは作れんよ」
「…じゃあ、どこかに地図があるんだろうな」
探してみるかといったシーヴァーに、
「お前のそういう考え方、俺はいまだに慣れんね。ユーリス帝が俺と同じだったと考えられても困るんだが」
「そうか?自分を基準に考えるのは愚かだが、こいつに無理なら他の誰にでも出来ないと思った者を基準に考えるのは、合理的と思うがな」
真顔で返されて、
「いや、それは」
エリックは少し照れた。
「とにかく俺は、妃殿下がおっしゃった消えた女を調べる」
むろんパンケーキを残すような、もったいないことはしない。
コーヒーもパンケーキもたいらげてから、エリックは辞した。