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戴冠の儀(前編)

8

……これは、どういう状況だろう?

空中庭園に来てみれば、わが妃と、なぜかユリティア・カルロ領公令嬢がいる。

はっとなりクリスを見れば、表情からはなんの感情も読み取れず、静かにその光景を凝視するのみ。

「あら、やっときた?ずいぶん遅かったのね」

護衛の騎士のクリスは、テーブルにつくことはない。

「待って。ここは今、光の壁(シールド)で囲んでいるから安全よ。あなたにも聞いてもらわなければならないの」
カルナの呼びかけにクリスは戸惑う。

シーヴァーが椅子をゆびさし、無言でクリスに座るよう指示したため、諦めてテーブルについた。

「それで、なんだ?」
シーヴァーの問いかけに、
「まぁまぁ焦らない。まずはお茶にしましょう。私とレディ・ユリティアは紅茶よ。二人はコーヒーでいいのよね?」
「ああ。しかし君は、その時の気分でコーヒーか紅茶か変わるな」
「どっちも好きだから仕方ないわ」

お茶の準備が整うと、
「ミルク入れますか」
クリスが隣のユリティア領公令嬢にたずねる。
「はい。恐れ入ります」

その様子を見ながら、シーヴァーはあることに気づく。
彼が座っている席から、コの字型で右にカルナ、左にクリス、そのクリスの横にレディ・ユリティアの配置である。
つまりクリスしかレディ・ユリティアの世話ができない配置なのだ。
本来はシーヴァーに近い席が上座なわけで、領公令嬢のレディ・ユリティアがクリスの席に座るのが正しいのだが…

(ははぁ)
シーヴァーは、カルナの企みにようやく気づいた。

「お取りしましょう。どれがいいですか?」
今度はケーキサーバ。
「それでは、こちらを…」

その様子を見ながらカルナがシーヴァーの耳元によせて、
「彼、マメね」
「ああ、よく気がつく。それに誰に対してもああだ」
「そう」
自分を特別扱いして欲しいと望むレディは多いが、生まれた時から特別扱いされてきたであろうレディ・ユリティアには、それが心地よいのかもとカルナは思った。
シーヴァーは続けて、
「ただ、仕事には厳しい。これまた誰に対しても平等に」
「みたいね。時々ゴミをみるような目で見るから、彼には近づきたくないと、オリヴィアが言っていた」
「そんなところさえ直したら、あいつはいますぐにでも団長になれるんだがなぁ」
そんな会話を続けているうちに、

「…好き…」
ユリティアの、ぽつりとつぶやく声がした。
「えっ」
クリスが驚き、シーヴァーとカルナも注目する。

「ごめんなさい。ご迷惑だとわかっております。でもわたくし、やっぱりあなたが好きなんです。きっと一生好きなんです」
クリスは困惑し、
「お気持ちは嬉しいですが、俺はあなたに何もお返しできません。考えないようにしてきましたし、考えたこともない」

「じゃあ、考えろ。いますぐ」
怒ったように言い放ったのはシーヴァーだ。

「最初から諦めて何も望まないお前が悪い。お前が彼女がいいというなら、俺が神官の説得でも買収でもなんでもしてやる」

「それで認められなかったら?それでは、名前も知らない父と同じ男になります。それだけは嫌だ!」
もはや主従ではなく、完全な友人同士の会話である。

「母は、父に結婚の意志がないことも、とどまる気がないことも知っていた。それでもいいと望んだんです。それほど魅力的な人だったと。この瞬間のために生まれてきたと思えたそうです」

「そうだったのね。時間がたつにつれ、お母様はそれを後悔なさったのかしら?」

「いいえ。後悔していませんでした。それどころかいつも幸せそうで俺と二人の生活に満足さえしていました。だから余計に腹が立つんです。母は幸せだったんでしょう。でも俺はそうじゃなかった。父と過ごしたことがない俺には、好き嫌いもわかりません。誇ればいいのか憎めばいいのかもわからない。どこの誰なのか、名前すら知らないんです」

「悪かった」
シーヴァーも3歳で捨てられた身だが、出自は明らかだ。
それによって過去と繋がり、未来にも繋ごうと人生を歩める。
だが、クリスには繋がるものがない。
母方のアドメトス伯爵家もまた、クリスを認めていないのだから。
それは、この世界で、たったひとりで漂っているような感覚なのかもしれない。

「ごめんなさい。わたくし、また貴方を傷つけてしまったのですね」
ユリティアはうなだれた。
「わたくしが貴方のために出来ることは諦めることなのですね。ようやくわかりました」

「いいえ。それは違うわ。レディ・ユリティア」

「だったらなおさら、貴方には繋がる相手が必要よ。クリストフォロス・アドメトス」

「あなたのお父上は知らなかっただけだと思うわ。あなたのような子はマガーでは珍しくもないもの。そんな複雑な人生になるなんて思ってもみなかったのよ」

「それは…私の父はマガー人ということですか?」

「あなたも薄々気づいていたはずよ。なぜ風の精霊の声が聞こえるのだろうって」

「あ、きた」
気配に気づいてカルナは立ち上がり空を見上げ、シールドを解除する。

と同時に、大空に風の精霊達の歓喜の声が響き渡る。
こんなに喜ぶとはいったい何事かと思う。

「さきほど風の精霊を使いを出して、ある人をここへ呼んだのよ」
今は、マガーでは日も落ちたくつろぎの時間。

優しい風が流れてきた。カルナを運んだ暴風とはえらい違いである。
やがて、空からやってきたある人物がふわりと着地する。

さすが風の王。
全速力で走って目的地で止まるのと変わらない自然さで風に乗り、風を操る。

「なんの用だ?くだらぬ理由での呼び出しなら許さんぞ、カルナ」

それは、マガー連合公国の王のひとり。
風のフォルセティ・アイオロス大公だった。

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