部屋を出ると、
「ユリティア様、どちらへ?」
執事らしき者が呼び止めた。
カルナは、うやうやしく礼をし、
「皇宮へお連れいたします。極秘でシーヴァー皇子がお会いなさりたいそうですから」
噓は言っていない。カルナの話を聞けばそうなるだろうと確信している。
ただ事後承認になるだけだ。
皇子の名を出された執事はひるみ、
「で、では監督官に」
目で合図すると、侍女が監督官を呼びに行き、すぐにディウス・パトリキウスが姿を見せた。
「シミトゥス領公はご存じなのですか?せめて護衛の者をお連れください」
「いいえ。結構よ。わたしがお連れするわ」
カルナの声が重なった。
「ラウルス公のご使者を疑うわけではございませんが、わが領国の姫の身になにかあっては一大事でございます」
信用できるか———と目で伝えてくる。
カルナはその態度に好感を持つ。
いろいろと未熟な青年であるが、紳士で忠臣には違いない。
まぁ、そんな男でなくては、大切な領公令嬢を預けようなどと思わないだろうが……
「お控えなさって、パトリキウス監督官。わたくしは皇宮へまいります。付き添いは、この方だけで結構です」
決意と覚悟をもって、毅然と言い放つユリティアは、どこからみても領公令嬢にふさわしい態度である。
先ほどレデイ・コーネリアを前にした時の…うつむき耐えて、すべてを諦めてしまったかのような無気力さはどこにもなかった。
この瞬間、カルナは二人のために自分に出来ることは、なんでもしようと決めた。
クリスと歩む人生の中でなら、彼女はここまで美しく輝くことが出来るのだ。
貴族には義務があり、責務がある。
だが生まれ持った力を発揮できずに人生を終えることほど、国のためにならないことはない。
「私がお連れするわ。通しなさい」
平民偽装もむなしく、カルナの女王様スイッチが入ってしまう。
その迫力に押されるように、ディウスは、無言で礼をし二人を通す。
アール地方の監督官として、ディウスも日頃から多くの貴族・商人・平民・あるいはならず者に接してきている。
彼女が、間違いなく身分の高い女性であることを認めるしかなかった。
そこへ、
「お待ちください!」
我慢できないとばかり、駆け寄ってきたのはコーネリアである。
コーネリアはカルナのほうへ向き直り、
「お姉さま…いえ、ユリティア様は皇妃にふさわしくありません。他に想う方がいらっしゃるのです」
「コーネリア様!なにをおっしゃるのです!」
ユリティア様を皇妃にと領国あげての苦労を台無しにするような爆弾発言に、ディウスが慌てて静止するも「本当のことでしょ?」とコーネリアは悪びれない。
カルナは目をパチパチさせ、
「まぁ、そうね」
と認めた。
「どうか皇子にお伝えください。皇妃候補でありながら、他の男と関係を続けるなど許されぬこと。このままユリティア様が皇妃となり、いずれわが領国がオスティア領国のように制裁を受けるかもしれないと思うと…」
うるっと涙ぐむ。
その言葉に、レディ・ユリティアを陥れようとする悪意をカルナは感じた。
想う方がいるのと、男と関係を続けているとでは、まったくの別物、うっかり勘違いしてしまうところである。
「…別の殿方を想っていても処罰を受けることはないわ。心は自由ですもの。シーヴァー皇子はそこまで心の狭い方ではなくてよ」
カルナが乗らなかったことでコーネリアは小さく舌打ちしたようだが、
「お姉さまは恋仲の方がいることを周囲に知られてしまい、怒ったお母様から館を離れてここに滞在するよう命じられたのです」
と、言い直した。
なんか話がかみあわないわね。
クリスのことではない…でしょう?
「レディ・ユリティア。これは、どういうことかしら?」
「わ、わたくしはっ!」
焦るユリティアに、
「大丈夫。わかっているわ。ただ確認したいだけよ」
「は、はい。実は、ある殿方に、つきまとわれておりまして…」
「え?ああ!」
これだけの美女だ。口説く男がいないほうがおかしい。
彼らが話題にしているのは、そっちの男のことか。
「……ひょっとして、あなたは好きでもなんでもないのに、あちらは恋人きどり?」
「はい。何を言っても聞いてくださらなくて。あることないことを吹聴なさり、お母さまは、この大事な時期に何をやっていると怒ってしまわれて、もうその方に会ってはならないとこちらへの滞在を命じられました。わたくしも、そちらのほうが助かるので異存はないのですが」
「なるほど。いるわね、そういう人」
それであの、周囲の咎めるような視線か。
領国からの皇妃誕生を待ち望んでいるのに、他の男と噂になるなど裏切られたような気がしているのだ。
メイド達が間違いがあっては大変と、目を光らせているのも頷ける。
そして、クスタキス侯爵家が確固たる証拠を掴むべく調査に乗り出したら、クリストフォロス・アドメトスという、思わぬ大物が釣れたのか…
(結果的に感謝すべきなのかしら?)
とはいえ、
「辛かったわね」
誰にも信じてもらえないのは。
「…恐れ入ります」
ユリティアは礼をしながら、涙が出そうになるのを堪えた。
ようやく伝わったと思った。今まで違うと何度言っても伝わらなかった。
「なんなの!?お姉さまはふしだらな人なのよ!」
コーネリアが、たまらず叫んだ。
ははぁ、そう私に思わせたかったのかと察しながら、
「安心して。あなたのお姉さまはふしだらではないわ」
肩透かしとはこのことだ。コーネリアは言い返せず、黙ってしまう。
そんなコーネリアの様子に、
(どうしたものかしら…?)
カルナは、マガー社交界でこれとそっくりな令嬢を知っていた。
姉のやることにいちいち反応し執着し、貶め、自分のことは、すっかりお留守になっている子だった。
姉妹の両親は、条件付きで子供を愛すような親で、彼女にはいつも親に捨てられることへの恐怖があった。
自分が捨てられないように、必死になるしかなかったのだ。
お姉さまは捨てられても生きていける、でも私は無理、捨てられたら死んじゃう———そんな甘えを免罪符にして。
姉のほうもまだ未成年であり、そんな妹の気持ちを受け止められるほど大人でもなく、ただ傷ついていた。
(よく似ているわ)
レディ・コーネリアの実の両親は、既にいない。
もし父親が生きていたら、養い子などではなく正真正銘の領公令嬢だった。
現領公夫妻は、きっと大切にしてくれただろうが、それでも自分とはどこか違い、両親に愛されるレディ・ユリティアの姿を羨ましく見ていたのかもしれない。
あの時は、うまく助けられなかった。
義務だの責任だの国のためなどと説教せず、ただ抱きしめてあげるだけで良かったのに。
カルナ自身も若く、人の心に疎すぎて、気づいた時は遅かった。
カルナは、ユリティアに声をかける。
「たしか5日後、帝都のシミトゥス領公邸で、お茶会があったわね?五摂家と各領公家を招いての」
「は、はい」
ユリティアは、カルナがコーネリアの発言をまったく問題にしていないことに、安堵しつつ応じた。
「レディ・コーネリアは、出席なさるの?」
「いいえ。出席したいと申しましたが、母はまだ早いと。わたくしもそう思います」
その言葉に、カルナは同意した。
領国内ならいいが、この礼儀作法では帝都貴族や領公家の家族達の前に出せないだろう。
帝都貴族や、各領公家を怒らせてシミトゥスへの制裁が発動しかねない。
「出席させてあげて」
そして、今度のシミトゥス領国邸でのお茶会は高確率で「そうなる」だろうと予測しつつ、
そこからユリティアだけに聞こえるよう小声で、
「招待状を私にも送って。レディ・コーネリアを私と同じテーブルに。私が面倒みるわ」
「えっ、あ、はい。かしこまりました」
「と、いうことよ。レディ・コーネリア。帝都のお茶会は5日後。いますぐ準備なさるといいわ」
すると顔を輝かせて、
「どうしよう!新しいドレス間に合わないわ!」
嬉しそうに叫ぶ。
「新しいドレスじゃないほうがいいのよ。主催者が目立ちすぎて、招待客に恥をかかせたら大変ですからね。レディ・ユリティアも控えめなドレスになさるはずです。でもきっと今のあなたにはパステルカラーや、レースが似合うでしょうね。あと少ししたらゴージャスなドレスが似合うようになってしまうでしょうから、いまのうちに楽しんでおくといいわ」
「あなたって話のわかる人だったのね!」
認めてあげると言わんばかりのコーネリアに、
「それはどうも」
と軽く微笑み応じるカルナだった。
案の定、先ほどの発言の重大さがわかっていないのだ。
そんなつもりがないのである。
それが今、ディウスにもわかったらしく、なんとかフォローをと真面目に考えていたらしい彼は困惑した。
「まだ子供なのよ。彼女が立派なレディになれるよう力を貸してあげましょう。見込みはあるのでしょう?」
「あ、はい。お茶については、専門家をしのぐ知識がおありです。商品開発のアイディアの豊富さにかけては私などたちうちできません」
「あらまぁ、お茶がそんなにお好きなの?」
「レディのたしたみよ」
えへんと言ったコーネリアに、
教養(たしなみ)を超えていると思うけどね———と思いながら、
「参考までに、貴方はどんなレディになりたいのかしら?」
「それはもう、領公令嬢として皆に花のようと言われて愛されて、素敵な王子様と結婚するの」
それはそのままレディ・ユリティアにあてはまるのでは……
(やっぱりレディ・ユリティアと張り合うことばかり考えていて、自分のことを、お留守にしているのね)
カルナは苦笑いした。