「ラウルス様。アデリーナです」
アデリーナという名にカルナが反応し、ラウルスと目が合う。
ラウルスは軽くうなずぎ、
「どうぞ」
と言うと同時に、カルナが客人らしく姿勢を正した。
「失礼いたします」
ドアが開き、アデリーナが入室してくる。
はっとしたように、動きを止め、しばらくカルナと見つめ合うことになった。 長い時間見つめ合ったように感じられたが、実際には数秒である。
しかしその数秒でカルナは平静でいられなくなった。
むろん表情に出すようなヘマはしなかったが。
(信じられない……!)
光の精霊との…なんと高い親和性か。
コクシの気配が、まったくしない。
もし「そのつもり」で感覚を極限まで鋭くしなければ、カルナでさえ気配のカケラもつかめなかっただろう。
まさか、こんなコクシがいるなんて…
きっとこれは…無理矢理などではない。
光の精霊は、自らの意思で捕らわれることを望んだとしか思えない。
そんなカルナからアデリーナは目を離さずに、
「ラウルス様。この方は…?」
「面接中の新人、魔法士ルナですよ。さきほど採用しましたから、明日から宜しくお願いしますね」
「あ、どうも、よろしくお願いしまーす!」
シーヴァーから言われた「偉そうな態度」を少しでもなくそうとフレンドリーで、いくことにしたカルナだったが、アデリーナからは礼儀知らずの態度に眉をつり上げられてしまう。
ラウルスは違うと言うべきか迷ったものの、
(いや、案外これくらいのほうがいいのか)
とフォローせず、そのまま受け入れることにし、
「こう見えて大変優秀な魔法士です。午前中、試験をかねて魔物討伐に参加させましたが、それは見事な成果でした」
「まぁ!それでは彼女なのですね。魔物の討伐に同行した魔法士達が驚いておりましたわ。ほどんどひとりで片付けてしまったとか」
「ええ。発見が遅れたことが悔やまれます」
「この姿でしたら、仕方ありませんわ」
外見から属性を読み取れぬ、ごくありふれた茶髪に茶目だからと言いたいらしい。
「ところで何用だったのでしょうか?」
「あら私ったら。申し訳ございません。アンドレア・クスタキス侯爵令嬢がお見えなさいました。魔法士長代理との面会を希望されております」
「なんとね…魔法士嫌いの令嬢が、私になんのご用でしょうね」
予想外のできごとにラウルスは笑うしかない。
アデリーナもつられて微笑み、
「おそらく皇妃になるため魔法士を味方につけたいのでしょう」
「ですね。お通ししてください。あなたには護衛をお願いいたします」
と、カルナを見ながラウルスが言えば、
「かしこまりました」
カルナは、ソファから立ち上がる。
するとアデリーナが、
「ラウルス様。わたしも同席してよろしいですか?」
「オリヴィアを嵌めたエルダのお妃様のことも気になります。あとで話を伺うより実際にこの目で確かめ、お話をさせていただいたほうが良いように思います」
「そうですね…どうせあとであなたに相談することです」
いつもそうだった。突然断るのは、不自然である。
「ぜひとも同席してください」
アンドレア・クスタキス侯爵令嬢は、長い亜麻色の髪を奇麗に結い上げいるせいか知的な雰囲気がする令嬢だった。瞳はドリュアス人には珍しい金色だ。
「ごきげんよう、ラウルス公。お会いくださり感謝いたしますわ」
「私は、まだ公ではありませんよ、レディ・アンドレア。どうぞ、おかけください」
アンドレアは先程までカルナが座っていた長ソファにすわり、肘掛け椅子にラウルスが腰を下ろす。
カルナはといえば、扉の側、騎士のような不動の姿勢で立ち、そしてアデリーナはラウルスの背後につつましく控えた。
「それで、ご用件は?」
「わたくしが皇妃となっても、魔法士達が不利益を被ることはないことをお伝えするために、まいりました。今まで魔法士とは色々ございましたが、わたくしは皇妃の勤めをわきまえておりますわ」
「それは。それは。有り難いことです。今までのことをすべて忘れろと言われても無理ですが」
魔法士のやることなすこと疑い、文句をいい、なんでも反対するのがクスタキス家。
転移の魔法陣の設置にも、最後まで抵抗したのがクスタキス派だ。
それも「帝都と領国を結ぶことは賛成するが、魔法を使うのは駄目。魔法士が関わることには反対」という理由であった。
トーマス・ワイルダー行政長官が、
「では、どのように結ぶのです?対案を出してください」
と言っても対案は出さない。
その抵抗で、何年も遅れたのだ。
アンドレアに「不利益を被ることはない」と言われても、それを素直に信じるほどラウルスは愚かではない。
ワイルダー行政長官は、今年で任期が切れる。
再任されるかは議会が決めることだが、娘が皇妃になったこことで、アントニウス・クスタキス侯爵が、行政長官に選ばれたら困るのだ。
塔としては、どんな条件を突きつけられようが、アンドレア・クスタキス侯爵令嬢を支持できないのだった。
その反応は、アンドレアも想定済みだったらしい。
「その証として、そちらの魔法士アデリーナをわたくしの側近に迎えたいと思っているのです」
「アデリーナを?!」
思ってもみなかった話に、ラウルスは思わず声を張り上げてしまう。
アデリーナもまぁと驚いた表情をしたが、それが驚いた演技なのかはわからなかった。
「いや…」
ラウルスは心を落ち着けたあと、
「ご提案に驚いております。いったいなぜ、アデリーナをご指名なのでしょう?政略として魔法士を側近にお加えなさりたいのでしたら、私が選ぶのが筋と思うのですが…」
「ごもっともでございます。ですが、わたくしの周囲は魔法士にとって、必ずしも快適な環境とは申せません。魔法士というだけで快く思わない者が多いのに加え、貴族令嬢としての身分、気品、教養のどれかひとつが欠けていても他の者達から見下されるでしょう。その点彼女は伯爵令嬢で所作も優雅。他の者とも上手くやっていけるだろうと判断いたしました。わたくしが魔法士を側近に迎え入れれば、魔法士と敵対する意思がないことがわかり皆、安心いたしましょう」
「おっしゃりたいことは、よくわかりました。ですが、先走りすぎではございませんか?まだあなたが皇妃になると決まったわけではない。ユリウス公はご息女のレディ・ユリティアを支持なさるでしょう。皇妃になるには三公の承認が必要です。私などよりユリウス公の説得が一番困難であるように思います」
「いいえ。塔さえ支持してくださるなら、わたくしを皇妃に迎えるになんの障害もなしと皇子はそうご判断なされるはずです。皇子がお決めなさったことをユリウス公は尊重なさるでしょう」
確かに…ユリウス・カルロ総団長には、そんな潔さがある。
「なぜ皇子があなたを選ぶと?」
それを合図にアンドレアは侍女に目線をおくり、侍女は礼をして近づき、数枚の紙をアンドレアに渡した。
「どうぞ、ご覧なさって」
アンドレアはその紙をテーブルの上に置き、ついと差し出す。
「拝見します」
ラウルスは受け取って読みだし、アデリーナが背後から、ちらりと紙に視線を送った。
「これは…」
「ご覧のとおり、あの方が皇妃になれば、困ったことになるかもしれぬということです。おそらくご両親も知らぬこと」
「この情報はどこから?」
「ある者が知らせてくれたのです。我が家の手のものが調べ、事実であることを確認しましたわ」
諜報はクスタキス家が得意とするところである。
「なるほど。クスタキス家は、この情報と引き換えに皇子に了承させるつもりなのですね。皇家を脅迫なさるとは、さすがです」
「ほほ、まぁ嫌な。わたくしどもは、今すぐこの情報を公開し、ユリティア様の名誉を汚すことも出来るのに、そうしてはおりません。カルロ家が治めるシミトゥス領国は、帝都の大切な同盟領国でございますもの、どうして出来ましょう?わたくしどもは、帝国のために、もっとも穏便な方法を選んでいるつもりです」
アンドレアは、アデリーナへ視線を送り、
「あなたはどう?わたくしに仕える気はあって?」
アデリーナは少し困ったような顔をして、
「私は、ラウルス様のご意向に従います」
とだけ言った。
「お話はわかりました。少々考えさせてください。了承するにしても、アデリーナの後任のこともありますのでね」
報告書を持った手を、ばさっと膝上に置きながら答える。
「色よいお返事を期待しております。その報告書は差し上げますわ。同じものが我が家にもございますから。もみ消すことはできません。ではこれで失礼させていただきます」
カルナがドアを開けて、礼儀正しくアンドレアを見送ったあと、
アデリーナが、今までアンドレアが座っていたところへ腰をおろしつつ、
「ラウルス様…これではアンドレア様が皇妃に選ばれるのは必然ですわ。私どもがユリティア様を望んでも、アンドレア様がこの情報の公開を決意なされたら大スキャンダルとなり皇妃候補から外されてしまいます」
と、話すアンドレアの声が聞こえた。
報告書になにが書かれているのか… カルナは気になりはしたが、今は近づくことは許されぬ。 その会話を壁となって見守るのみだ。
「いずれにせよ情報公開されたらレディ・ユリティアの名誉は地に墜ち、皇子のご友人は、失脚なさる。その前にカルロ家は辞退し、皇子もレディ・アンドレアを皇妃にお選びなさる、か」
「ええ、そのとおりです」
ラウルスの考えに、アデリーナは同意した。
…そして、もうひとつの可能性をラウルスは考えた。
この情報が公開された場合、皇子はレディ・ユリティアを守るため、彼女を皇妃に迎えざるを得なくなる可能性だ。皇子のご性格からいって、十分あり得る。
レディ・アンドレアは、帝国のためなどと言っているが、その可能性に気づいているから、公表しないのだ。
まったく———
この情報を皇子でも行政長官でもカルロ領公家でもなく、自分のところに持ってきたというところが、さすがである。
力の使い方さえ間違っていなければ、確かに優秀なのだ。あのレディは。
皇妃ではなく、初の女性行政長官でも目指せばいいものを。
「アデリーナ。あなたはレディ・アンドレアが皇妃になってもいいと思いますか。我々には手段選ばずでこの情報を公開させないようにし、レディ・ユリティアを皇妃にする選択もありますが」
アデリーナは、かぶりをふった。
「皇家や騎士団、クスタキス侯爵家との間に禍根を残すやり方は得策ではありませんわ。ここはアンドレア様の申し出どおり、私をつなぎ役としてアンドレア様のもとへ送り込むのが一番かと」
「あなたは、それでいいので?」
「ええ。かまいませんわ。それが最善かと思います」
つい最近までのラウルスなら、その言葉を素直に受け止めるだけだっただろう。
疑いたくはなかったが…
コクシは皇妃の側近の中に潜むと妃殿下は言った。
そのとおりの者になろうとしているではないか。
「本当にいいのですか?以前、エルダの儀の妃を打診したとき、あなたは塔を離れたくないと言っていたように思いますが」
探るように尋ねたラウルスに、アデリーナは笑顔で、
「魔法士を辞めて高貴な身分の者になるのと、魔法士のまま皇妃の側近になるのとでは違いますもの。今回は、人事異動で部署が変わるだけのようなものでしょう」
と、そつなく答えた。
「その通りですね」
ラウルスは文句のつけようがない返答だと思いつつ、
「ご苦労でした、アデリーナ。この報告書は私のほうで始末しておきます。決定するまで、このことは口外しないように」
「はい。もちろんですわ」