アデリーナが去ったあと、
「なんだったの?見せたくないのなら、別にいいけれど」
「あ、いえ。どうぞ」
ラウルスは報告書を差しだした。
カルナは受け取り、読みながら歩き回って、最終的に長ソファに腰をおろした。
「あらまぁ」
カルナは、いたずらっ子のような表情になる。
「それで、これの何が問題なの?マガー人の私からみたらどうってことないのだけど」
いいながらカルナは報告書をラウルスに返し、
「おおありです。表にでたら、大スキャンダルです」
受け取ったラウルスは、魔法で報告書を燃やした。
報告書にはこう書かれてあった。
15歳の時、ユリティア・カルロ領公令嬢には、好きな男がいた。
思いを募らせて告白したが、受け入れてはもらえなかった。
ある夜、衝動的に男の部屋を訪ねたという。
そして、しばらく二人は部屋から出てこなかった。
その相手の男が———
「よりによって、クリス君…クリストフォロス・アドメトスです」
シーヴァーの幼なじみにして親友の護衛の騎士。そしてシルバーナイトの小隊長。
実力からして、大隊の隊長になっていてもおかしくないのだが、本人がシーヴァー皇子の護衛の任を離れたがらず、
ずっと小隊長のままなのだった。
「彼に限って社交界デビューもまだの15歳少女に手を出すことはないと思うわ。さしずめ誰かに見られたら彼女の評判に傷がつくと部屋に招き入れ、話を聞いただけなんじゃない?」
「私もそう思いますが、言ったところで、誰も信じないでしょうね。そんな噂が吹き飛ぶくらい、皇子とレディ・ユリティアが仲睦まじく過ごされれば良いですが…いや、貴方に会う前なら間違いなくそうしたはずですが、今の皇子には無理でしょう」
ごく自然に言ったラウルスに、カルナは肩をすくめただけだった。
カルナの立場から返答のしようがなかったのだ。
「たぶんシーヴァー皇子はご存知だと思うわ。この間、どちらかを選べと言われたらレディ・ユリティアだったが、彼女を選びたくない理由があったと言っていたもの」
そして、理由は教えてはくれなかった。
話を聞いていて不思議だと思っていた。
レディ・アンドレアのことは「彼女は苦手」と言えるほど詳しいのに、レディ・ユリティアには、ほとんど会ったことも話をしたこともないというのが。
シミトゥス領国の姫で帝都にいないとはいえ、まるでレディ・ユリティアに近づくのを避けているようだった。
今から思えば、彼が気遣っていたのはクリストフォロス・アドメトスのほうで、おそらく彼女に特別な想いを抱いている彼の気持ちに気づいているのだ。
皇子のいくところ、必ず彼が同行するだろうから。
カルナがそのことを話すと、
「そうですか。クリス君は15でうちの養成所を卒業し、その後騎士団へ入って魔法騎士になっています。時期的にシーヴァー皇子が皇家に戻って間もない頃…まだ気楽に異性の話ができていたのかもしれません」
「魔法士長代理。二人が両思いだったとして、なぜ結ばれないのか理由がわかるかしら?」
カルナの問いにラウルスは答えなかった。
その沈黙に、カルナは言葉を重ねた。
「……ひょっとして、彼が私生児であることに関係してる?」
「皇子が話されたのですか!?」
「いいえ。誰も何も話さなかったわ。ただ私が気づいただけよ。私の知り合いによく似ていたから」
「そうでしたか……」
「仰るとおりクリス君は、私生児です。そしてそれは、一夫多妻が許されているドリュアスの貴族社会ではあり得ないことなのです」
アドメトス伯爵夫妻は、どこの誰ともわからぬ男の子供を身ごもったひとり娘の愚かな行動を悲しんだものの、勘当(かんどう)することはなかった。
生まれた子にもアドメトスの姓を名乗ることを許し、伯爵家の別邸で、母子ともに静かに暮らしていたという。
だが、正式な伯爵家の子として紹介できるはずもなく、貴族の集まりに出席させることも出来ず、生まれた子は平民同然に育てられた。
平民が通う学校へ入学し、
「……そこで、やはり皇家を追い出され、商家の子として育てられていた皇子と出会ったと聞いております」
「クリス君はあのとおり優秀です。騎士団は実力主義ですから出世もできる。ただ結婚だけはどうにもならないでしょう。私生児との結婚を神殿は認めません」
「そうなの?!」
くだらぬことを気にする人々に反対される程度と思っていた。
まさか結婚できないとは。
「どうして神殿は認めないの?」
「親の罪を償わなければならないとの考えからですね」
「はぁ!そんなバカな考えがあるものですか!親の罪は親の罪でしょう」
「一夫多妻なのに、子が出来たにもかかわらず結婚しようとしないのは、どちらかに人としての欠陥があるからだと考えられております。そんな血は残すべきではないと」
カルナはソファの背にもたれ、天井を見上げた。
「いろいろと違うのね、マガーと」
あの方も罪作りな…
カルナはふと気になり、
「魔法士長代理。私以外で、精霊の声が聞こえる方をご存じ?」
「いいえ?」
「そうですか…」
精霊の声が聞こえること、周囲に言っていないのか。
知っているのはシーヴァー皇子だけなのかもしれない。
「レディ・ユリティアは、まだシミトゥス領国?」
「ええ。そう聞いております。シミトゥス領公家は、帝都のシミトゥス領公邸と転移の魔法陣で結ばれていて、簡単に領国と帝都を行き来できますから」
「わかった!私が今から話を聞いてくるわ」
カルナは勢いよく立ち上がる。
「お待ちください。コクシ探しはどうなさるんです?まさか、放り出すおつもりですか」
カルナはくるりとラウルスのほうを向き、
「いいえ?やっているわよ。この瞬間にも」
と即答する。
「私はコクシ探しを決意し、魔法士の塔に乗り込んだ先でこの問題と出会っているのよ。 ということは、今は気づいていないだけで、私が解決したい問題に繋がっている可能性があるということ。できないことは諦めるしかないけれど、できることをやらない選択はないわ」
「おそらく全容が見えるのは、ずっとあとになってからのことよ。その時になって後悔することを、力を尽くしたとは言わないでしょう。道すがら出てきた問題は放置せず、たとえ無関係に見えても出来ることはすべてやっておかなければ」
「……それがカリナンですか?」
「まぁ、そう。おかげでカリナンは、すぐ脱線して何がやりたいのか、よくわからないと言われるわ」
「でしょうね」
ラウルスは少し笑いながら言ったあと、
「少しお待ちください」
執務机に戻りつつ、
「紹介状を書きましょう。どうせなら私の使いとして、正面から会いにいかれたらよろしい」
万年筆をとってさらさらと書き、公印で封をした。
「転移の魔法陣もお使いなさってください。行きと帰りの使用許可を出しましょう」
【帝都】→【シミトゥス領公の館】【シミトゥス領公の館】→【帝都】の2枚のカードを渡す。
「これを持って、転移の魔法陣の中へ入ってください。1回の使用で消滅します」
「ありがたく使わせていただくわ。いってきます」
軽やかに部屋から出ていくカルナを見送ったあと、ラウルスは200年前の出来事に、思いを馳せることになった。
マガーが崩壊した巨大な天の大地を、東の魔の海に着水させたことは、今なお世界の奇跡とされている。
それによって、この帝都も救われたことは言うまでもない。
天の大地が墜落していたら、その真下に広がっていた帝都も壊滅的な被害を受けただろうから。
いったいそれをどうやって可能としたのか。
姫のおっしゃるとおり、できることはすべてやっていたからこその、あの奇跡、か。
ノックの音が聞こえ、
「ラウルス様、よろしいですか?」
その声でラウルスは「今」に戻る。
「はい、どうぞ」
彼は、頭を切り替えた。