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ジャッジマスターのアフター9

1

午後9時近い帝都の酒場は、帝都に住む市民で賑わっていた。
たあいのない上官や貴族の悪口が右へ左へと飛び交いながら、酒と料理の匂いが店の中に満ちている。

そんな帝都の酒場の扉が開き、新しい客の来訪を告げた。

見た目はまだ若くて、肌の色も白い。紫に近い髪も珍しいものだ。白に近い布地に濃い布地を重ねた帝国の衣装がよく似合っており、貴族の子弟と言っても誰もが納得しただろう上品さをも漂わせていた。

青年はジャッジマスターのひとり、ドレイスその人だった。
だが、酒場のマスターはむろんのこと、客の誰一人として、これがジャッジ、しかもジャッジマスターだと気づく者はいない。もっとも言ったところで、信じる者はいなかったことだろう。

法の裁きに個性は不要であるがゆえに、素顔を隠し、甲冑をまとい、常に国民が思い描く厳格で力強いジャッジ像を壊すことなくふるまうように教育されているのがジャッジだ。そんなジャッジたちが甲冑を脱いで、様々な想いを抱えたひとりの個人に戻るとき、万人が知っているジャッジとはあまりにも違いすぎた。

青年はためらうことなく、カウンターへと近づいてくる。
酒場のマスターは、顔を見るなり笑顔に近い表情になった。
「あんたか。久しぶりだな。いつものか?」
「ああ。頼むよ」
鋭い目の所有者にもかかわらず、笑うとどこか優しくなる。
酒場のマスターは無言で頷き、手際よくグラスを取り出し酒を注ぎだす。注ぎながら内心、どうしてこんな育ちのよさそうなヤツが好んでここへくるのだろう、と不思議に思ってもいた。それほど頻繁に顔を出す客ではないが、あきらかに、この店の雰囲気が似合わない男———それだけに記憶に残るのだ。

酒を用意している最中、酒場のマスターは、青年の顔に浮かんでいる憂(うれ)いの表情を見逃さなかった。この場所から心が飛び、心が重く沈んでいるのがよくわかる。
「女のことか?」
グラスを差し出しながらマスターが問いかければ、青年の心はたちまち、この場所へ引き戻された。
「いや……」
気が付いたように、懐から出したギルをカウンターの上におき、差し出されていたグラスを受け取った。
それ以上、何も言わない。
酒場のマスターも聞くのをやめた。客が言いたがっていることを聞いてやるのも仕事だが、言いたくないことを聞かないのもまた仕事のうちなのだ。

マスターが行ってしまうと、ドレイスはグラスの中の琥珀(こはく)色の液体をじっと見る。豊かな香りが体の中にしみこんで、それだけで酔わされるようだった。

一口めを体の中に流し込み、おおきく息を吐き出す。
重い甲冑を脱ぎ捨てた時の解放感は何物にも代え難い。こうしていると役目も何もかも忘れ、本来の自分の心が自分に戻ってくるような気がした。この時間なら、帝国を中心に起こっている様々な出来事も素直に見つめられる。

(いったい、ヴェインは何を考えている……)
ドレイスの不安はそのことだった。
最近、皇帝の三男であるヴェイン・ソリドールが帝都に呼び戻された。ヴェインはドレイスとって、殿下と呼ぶような相手ではない。自らの意志で殿下と呼び、命をかけて守ると誓った相手はひとりだけだ。

それでもヴェインのやることに無関心でいるわけにはいかなかった。ふたりの兄を殺した経歴を持つ男となれば、なおさらのこと。

今回のヴェインの帰還は、彼の失政を糾弾した元老院の決定だというが、このまま大人しくしているような男でもないだろう。それだけに無用な血が流れないか心配でもあった。

皇帝が、そしてドレイス自身が強く願うのは、帝国による世界の安定と平和。
戦いの果てに待つ帝国による統治、そして人が同じ帝国の市民として共に暮らすこと。それこそが争いの世を終わらせ、この世界に長き平和をもたらすはずだった。そう信じてきたから、どのような任務も恥じることなく果たし続けてきたのだ。そして、そのような未来の帝国の皇帝として相応しいのはラーサー・ファルナス・ソリドール殿下、その人しかいないと確信してもいる。どれほどの才覚があろうとも血と剣でもって国を治めようとするヴェインでは無理なのだ。

そして。

今、帝国は大きく動こうとしている。
ヴェインの野心と元老院の思惑。そして仮面の下に人間の欲望を抱えているジャッジたち。
そんな人の想いが交差している宮中に、ジャッジマスターとして自分はいる。
(近い未来に宮中で何かが起こるかもしれない……)
今、ラーサーが宮殿にいないのは不幸中の幸いだとさえ思う。今頃ラーサーは神都ブルオミシェイスに向かっているはずだ。幼いなりに帝国を守ろうとするその気概と自覚が嬉しい。
ドレイス自身はラーサーを守り、そのために命を捨てようと決めてはいても、ジャッジをやめ、ひとりの騎士として常にラーサーを側近くで守ろうとする考えはなかった。帝国におけるジャッジの力は絶大であり、ジャッジマスターとして支持し続けるほうが、はるかにラーサーを支える力となれるのだ。

(まったく、この国は巨大で複雑すぎる……)
共和制の名残を残しつつ、帝政へとゆるやかに変化してきた国の定めかと苦笑せずにいられない。臣下の間でも意思統一というものがされておらず、皇帝に対してどこまで忠誠を誓っているのかも疑わしい。皆が勝手な野心を持ち、別々の夢を描いているのだ。しかし、それだけに懐の深さは他のどの国よりも深いはずだった。

背後から耳障りな椅子が倒れる音と甲高い悲鳴がきこえ、思考が中断された。

意識をむければ、視界の片隅でふたりの男が若い娘にからんでいた。
酒場のマスターは、ちらりと眺めてただけで咎(とが)めようともしない。酔っぱらいや荒くれどもが集まるこの酒場では、日常茶飯事の光景だ。いちいち客のやることを諫めていたら、ことような場所で店は開けない。

娘の甲高い声とあまりの騒々しさに、うんざりしたように向き直り、カウンターに肩肘をついて、その光景をじっと眺める。
マスターはその時、この青年が普通とは違うことに気づいた。

他の客は、なまじ助けを求められては困ると視線をはずして無視を決め込むか、下品な笑いを浮かべて見せ物を楽しんでいるかのどちらかだった。もっとも、ときには助けに入ろうとする、おせっかいな男もいるのだが。
だが、今、目の前にいる青年の態度は、彼が見てきた他のいずれの客とも違った。
笑いもせずにその光景を直視しているが、だからといって助けようとするわけでもないのだ。
ドレイスは娘と目があった。男の手がら逃れようと、すがりつくような目で助けを求める。
「助けて!!」
彼は、その言葉に即座に反応しなかった。自身の前髪をうるさげに指先ではじいて問う。
「確認したいんだが、そいつら、君の知り合いか。なんで、そんな目にあっている?君は、そいつらに何かしたわけか」
大声を出しているようにも見えないのに、酒場の騒々しさを通り越して遠距離の相手に届く声に、店のマスターをはじめとする他の酒場の客は驚いた。そして同時に、色白で柔弱そうな外見に似合わず、この青年の心身がよく鍛えられていることを知る。
「違うわよ!見ればわかるでしょ!!」
動じることもなくグラスを回しながら若い娘を見やる。
「いや、わからないな。おれの辞書に『思った』はない。だから、確かめておきたいのだ」
法の番人に必要なのは、確かな証拠と事実だけだ。思いこみで人を裁き、行動することは許されない。確信できたことだけを実行する、ただ、それだけだ。

娘は気にさわりはしたものの、自らを守るため必死で口をひらく。
「わ、私は横を通っただけよ!通り過ぎようとしたら、こいつらが立ち上がって絡んできたのよ!」
嘘をついているかどうか見抜くことができるのもドレイスならではだ。
「なるほど。それなら、君の味方になろう。お前ら、離してやれよ」
酒を注文する時と変わらぬ自然さに、酒場のマスターは呆れたらいいのか感心したらいいのかわからず、ドレイスの顔を見つめるばかりだ。

言われた男たちはといえば、外見から敵ではないと判断したらしく、嫌がる女をこれみよがしに、いっそきつく抱きしめながら、
「おい、世間知らずの坊やが何かいってるぜ!」
侮蔑を込めてドレイスを見、大声で笑い出す。あきらかに彼を挑発していた。
ドレイスは内心、やれやれと思う。これがジャッジの甲冑姿であるならば、必要以上に無駄な言動を必要とせず、スムーズに解決するだろうに。まったく制服が人の心に与える効果は計り知れない。ジャッジが甲冑姿で人々の前に姿をあらわすのは、それなりに意味があるのだ。
やむなくドレイスは、もう一度、言うことにする。

「その世間知らずの坊やが、さらに世間知らずのあほうどもに離してやれと教えてやっているんだ。感謝して従うんだな」
その不遜な言い方に男たちは顔色を変えた。
「なんだと!おい、こら!」
怒りで赤くなり、つかみかかってきたひとりめの男の足をドレイスがはらう。その男が酒場の椅子を巻き込み、派手な音をたてて倒れるのと、二人目の男が娘を放り出し、ナイフを片手に襲いかかってくるのとが同時だった。
だが、ドレイスのほうが速かった。重い甲冑を身につけていないのだから、その速さたるや、いつもの倍以上だ。
男はナイフをかわかされて、腕をつかまれる。
さからえない強き力で、腕を望まぬ方向へと向けられ、男は自身の手で自身の喉元に自分のナイフの刃をあてることになった。
「ここで死にたいのなら、その願い、叶えてやろう」
どうする———先ほどとは、がらりと変わった強気の眼光を前に、男は何も言えず、酔いもいっぺんに醒(さ)めてしまった。
「い、いや。悪かった」
「そりゃ、よかった。長生きしてくれれば、おれも嬉しい」
男の戦意がなくなったのを感じ、突き飛ばすように男を離した。
それ以上、なんの感心も示さず、カウンターの椅子へ座りなおす。

からまれていた女は、服装を乱れた髪を整え、ドレイスの背後に向かってひとにらみすると酒場からも足音も猛々しく去っていった。善意で助けたわけではないとわかる青年の、自分に対する屈辱的な態度に、感謝よりも怒りのほうが大きかったのだ。
一部終始を見ていたマスターが、やがて新しいグラスに洋酒を満たして、前にコトリと置く。
「あんた、見かけによらず腕っぷしが強いんだな。こいつはおごりだ。あんたのおかげで椅子ひとつ壊されただけで済んだ」
「それは、それは。なりよりのものを、ありがとう」
マスターに向かいグラスを掲げて、飲みくだす。
「今のあんたの裁き方、ジャッジにも見習ってほしいね」
一瞬、グラスを持った手を止め、店のマスターに、いたずらっぽく問いかけた。
「そうか、おれはジャッジの教育係になれるか」
「ああ。あいつらの裁き方と言ったら、冷酷すぎて情け容赦がねえ。やつらなら、間違いなく男と女、どっちの首もはねるぜ」
店主の意見に、周囲が賛同する。
すべてのジャッジがそうではない、とは口に出しては言わぬ。確かに仲間のジャッジのやることを止めないという罪もあるのだ。
そう、法に背かない限り。

ドレイスは、それからもしばらく店で過ごしたあと、
「ごちそうさま」
とだけ言葉を残し、来たときと同じく、ひとりで店から出て行った。

それから1ヶ月後。

酒場のマスターはいつものように客に酒を出しながら、そういえば、と、常にこの酒を好んで飲んでいた青年を思い出す。
(そういえば、あいつ、最近見かけないな……)
この時、彼は、数週間前に皇帝が暗殺され、法に背いたジャッジマスターがジャッジの手で処刑されたことを噂に聞いている。だが、処刑されたジャッジマスターが店主の待ち人だった、と。

ついに生涯、気づくことはなかった。

- FIN -


【あとがき】

この文は、ジャッジマスター・ドレイスが死んでしまった直後に書き上げました。彼が死ぬ場面は、私の中でFF12名場面、ベスト3に入ります。
帝都にいったら店の名前とか文を修正しようと思っていたのですが、アルケイディアって酒場がない。ほどんど修正する必要ありませんでした……

【2007/01/07追加】
以前、ひとこと日記でぼやきましたようにドレイスが男だと思っていた頃に書いたものです。結局、そのままにしてありますのでよろしくお願いします。(長い間こちらに断り書き入れるの忘れててすみませんでした)

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文責:楠 尚巳 [2006/04/24]